103歳ひとり暮らし、別れをたくさん経験してきたから分かること。「死んでも終わりじゃない。私らの心がちゃんと覚えとります」
“人生100年時代のモデル”として中国新聞の連載が話題になった哲代おばあちゃん、103歳。広島県尾道市の山あいの町で、元気にひとり暮らしを謳歌する様子は、自分らしくご機嫌に生きるヒントがいっぱい。今回は、哲代さんが半世紀にわたり大切にしてきた、地域のコミュニティ「仲よしクラブ」についてご紹介します。 【写真】大切な仲間をしのぶ会。その年に亡くなった人の名前を包装紙の裏に書く。毎年書き足していると… * * * * * * * ◆一緒に笑って泣いて生きていた「仲よしクラブ」 ****** 哲代さんには半世紀もの間、大切にしてきた場所があります。地域のおばあさんたちが週1回集まる「仲よしクラブ」です。 1973年に哲代さんの呼びかけで発足し、今も毎週月曜日の午前に開いています。「縁あって、この地に暮らす仲間ですけえ。一緒に笑って泣いて生きてきました」と哲代さんはこれまでの日々をかみしめます。 ****** 仲よしクラブは私が53歳のときに始めました。もう50年ですか。こんなに長く続くなんて思いもしませんでしたなあ。 この辺りはみんな農家でしょう。あのころ、草刈り機とか便利な農機具が急速に広まってね。それまで農作業で働きづめだった近所の姑たちが、一人でぼんやりと田のあぜに座ってる姿があちこちで見られるようになりました。 すさまじい光景でね。「ぼけ老人の里」になってはいけんと思うてね。学校が休みの日曜日の朝に集まることにしました。
◆音楽で心が一つに 初めのころは、私よりも年上の明治生まれの女性ばかりでした。私が言い出したからには、おしゃべりだけじゃなく、みんなの心が一つになれるようなことをやりたかった。それで、誰もが夢中になれる音楽を思いついたんです。 お金をかけずに楽しめるでしょう。私も小学校で教えていることを、そのままやればいいわけ。 あの時代ですから、みんな自分が演奏するなんて初めてのことです。 大きな紙に楽譜を書いて、出番を順に決めてね。それはそれは一生懸命でした。とは言っても楽器はないから、フライパンやらバケツやら音が出るものを持ち寄って棒でたたくんでございます。 中には、壊れたおもちゃの木琴もありました。カタコトカタコトまともな音は出んのじゃけど、そのおばあさんは大演奏家のようなそぶりでダーッと悦に入って鳴らすんです。 音が外れても気にしないの。気持ちよく演奏してくれるのが私はうれしゅうてね。あー、今でも目に浮かびます。みんなもどんどん元気になって、ほんまにうれしかったなあ。 徐々に、仲よしクラブのある日曜日の朝だけは家の人も「公認」で、みんな堂々と出かけるわけ。フォークダンスをしたこともありましたが、今はもう長いこと大正琴をやっています。