世界最年長のサッカージャーナリスト、賀川浩さんが99歳で死去 W杯10大会取材で表彰
90代になっても執筆を続け、世界最年長のサッカージャーナリストとして活動していた賀川浩(かがわ・ひろし)さんが5日、神戸市内の病院で亡くなった。99歳。老衰とみられる。 【写真】来日したマラドーナと記念撮影に納まる賀川浩さん=1979年 賀川さんは数年前から老人ホームで暮らしていたが、今年10月に体調が悪化し入院。11月14日、自身の膨大なサッカー関連蔵書を寄託、公開していた「神戸賀川サッカー文庫」(神戸市立中央図書館)の10周年記念イベントを体調不良で欠席していた。その後、退院したが、この日朝に体調が急変し、搬送先の神戸市内の病院で亡くなった。 ■天皇杯準優勝の経験持つ名選手 賀川さんは1924(大正13)年生まれ。神戸一中(現神戸高)でサッカーを始め、神戸大でもプレー。大阪サッカークラブでは天皇杯準優勝を経験した名選手でもあった。 先の大戦中は軍隊に召集され、志願して航空隊に入隊。戦闘機乗りになったが、特攻直前に終戦を迎えた。引き揚げ後、52年に産経新聞大阪本社に入社し、得意分野のサッカー取材を始めた。「日本サッカーの父」と呼ばれたドイツ人指導者、デットマール・クラマー氏と親交が深く、68年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表を取材。ドイツ留学を考えていた当時中学生の岡田武史氏(元日本代表監督)から相談を受け、進学を勧めたこともあった。 ■W杯10大会取材でFIFA会長賞に サンケイスポーツ編集局次長だった74年、西ドイツで開催されたワールドカップ(W杯)を初めて取材。退社後はフリーのサッカージャーナリストに転身し、専門誌に世界の国々の風情を絡ませた紀行記風の連載を長期に渡って続けた。ヨハン・クライフ(オランダ)らスター選手へのインタビューにも成功し、サッカーライターとして活動の幅を広げていった。 2014年ブラジル大会までW杯を10大会取材した功績が評価され、15年に日本人として初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞。15年1月、スイス・チューリヒでのFIFAバロンドール授賞式に招かれ、クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)、イニエスタ(スペイン)らとともに壇上に上がった。 90歳を超えても執筆活動を続け、18年ロシアW杯ではアジア予選から観戦記を古巣サンスポに寄稿。19年3月には、ノエビアスタジアム(神戸市)で開催された日本-ボリビアを取材した。94歳の日本代表取材は最年長記録と話題になり、試合後、森保一監督から花束を贈られた。98歳まで雑誌にコラムを寄稿し、現役最年長のサッカージャーナリストと呼ばれていた。