《神戸・男子高校生殺害事件14年》「なぜ将太は殺された…」怒り苦しみ、問い続ける父親・堤 敏さん
「被害者より加害者の権利が優先される、こんな理不尽なことがあっていいのでしょうか。刑事裁判で被告(犯人)に判決が下されたら、それで終わりではないのです。失われた命は帰ってきません。私たち遺族は、ずっと被害者なのです」 遺族「心も殺された」法廷で涙の訴え 神戸市北区の路上で2010年、堤将太さん(当時16歳・高校2年)が殺害された事件は4日、発生から14年を迎えた。 将太さんの父親・敏(さとし)さんは、今年(2024年)5月、講演でこう訴えた。 将太さんは、面識のない男に折り畳み式ナイフで突き刺され殺害された。男は犯行当時17歳。10年10か月後の2021年8月4日に愛知県内で逮捕され、翌22年1月に殺人罪で起訴された。 23年6月、神戸地裁で開かれた裁判員裁判で男は「(将太さんに対する)殺意はなかった」として、起訴状の内容を否認し、弁護側は善悪の判断が著しく低下する「心神耗弱」状態だったとして刑の減軽を求めていた。 神戸地裁は男に精神障害はないと断定、完全責任能力を認めて懲役18年の判決を言い渡したが、男はこれを不服として控訴している。 ・・・・・ 「あれから14年、心の底にあるものはひとつ。『なぜ、将太は殺されなくてはならなかったのか』」。敏さんは話す。 犯人逮捕までの10年10か月間、敏さんら遺族は訴えかけた。それは、逃亡していた男に「どうか自首してくれ」ではなく、「必ず捕まえる。必ず見つけ出す」。 年々、言葉に重みが増す。冒頭の講演の一節は、「私が素直に感じたことを、ストレートに伝えているだけ」と話す。 敏さんら遺族は、男とその両親を相手に約1億5000万円の損害賠償を求めて神戸地裁に提訴、すでに第1回口頭弁論を終えた。 その後、この民事裁判は法廷ではなく、ウェブ会議という形式を取るが、男と両親は、具体的な争点を示さず、答弁書の内容の一部を留保したという。男は出廷しなかった。 「被告が反論したいのなら、堂々と法廷で主張すればいい。私たち遺族は、1ミリも引かないのだから」。敏さんは怒りを抑えられない。いったい誰が悪いのか、しっかり公開の場で示してほしいと訴える。 事件から10年10か月経っての逮捕、兵庫県警での取り調べでは、男が本人しかわからない、具体的な経緯を説明していたという。しかし、刑事裁判では一転、「覚えていない」という供述に変わった。 敏さんら遺族を苦しめていく。「これでは真実がわからない」。 ・・・・・・・・ 2023年9月25日、敏さんは大阪高裁の法廷で、ある判決公判を傍聴していた。 2017年7月に神戸市で起きた無差別5人殺傷事件の控訴審で、一審に続いて無罪判決(検察側の控訴棄却)が言い渡された。 大阪高裁は「妄想の影響下で心神喪失状態だった疑いが残る」と判断し、被告の刑事責任能力を否定した。 敏さんはこの時、「裁判は、被告を罰する場なのか、被告を許す場なのか、遺族はやり切れないはず」と声を震わせた。 将太さん殺害事件をめぐっては、男の一審判決は、懲役18年(求刑・懲役20年)。 遺族代理人の河瀬真弁護士は、司法に携わる立場として、法に則った結論を下す部分と、遺族の悲痛な思いに接するはざまで、もどかしさをぬぐえない。「18年という刑罰が、将太さんの死という重大な結果を少しでも償うことができる期間なのか。決してそうではない。ただ単に犯行時が少年だから、未熟だから、という理由でむげに刑が減軽されることがなかったのは、ひとつの成果だったと思う」と振り返る。 敏さんは「刑罰で納得する遺族はいない。そこで何があったのかを明らかにすることが、残された私たちに課せられた役割だ」と話す。 犯罪被害者と遺族を取り巻く環境は厳しい。特に精神的苦痛が襲い掛かり、苦しめる。 毎年、命日は家族だけで迎える。しかしこの日、将太さんを偲ぶ友人、長く携わった捜査員らのメッセージを聞くたび、敏さんは「将太はある意味、幸せ者かも知れない」と感じるようになった。 敏さんは今、犯罪被害者とその遺族という、世間にほんの一握りの存在を知ってもらいたいと強く願い、前を向く。「私は遺族として、絶対にこの事件を忘れない。事件を忘れることは、将太を忘れることになる。もう帰ってこない将太、必ず真実を突き詰めるから」。
ラジオ関西