「引退も視野に入れていた」阪神・藤川球児新監督が明かす、あのタイガース復帰を後押しした「二人の言葉」
プロ野球・阪神タイガースの次期監督に藤川球児氏の就任が決まった。的確な解説でも人気を博した新しい虎将、その現役時代のエピソードを改めて振り返りたい。藤川氏の「火の玉ストレート」の誕生秘話から引退試合の最後の1球までを語り尽くした著書『火の玉ストレートプロフェッショナルの覚悟』から抜粋・再構成して紹介しよう。ファンを大いに沸かせた、2016年の阪神タイガース復帰。その背景には、元チームメイト2人の強い後押しがあったという。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの…
視野に入っていた「現役引退」
アメリカから帰国して間もなく、火の玉ストレートの健在を証明するため再びマウンドに上がった僕は、目的さえ達すればユニフォームを脱ぐつもりでいた。 高知ファイティングドッグスへの入団に際して、阪神を含む複数のプロ球団からのオファーを断った以上、右腕一本で自分の存在を証明するのみ……それが僕なりのけじめのつけ方と考えていたのである。 だが、僕は再びタテ縞のユニフォームに袖を通すことになった。 阪神を愛していたから……。そう言えればファンのみなさんにも喜んでいただけるのだろうが、正直なところ、そうとも言い切れない。もちろん、阪神に対する個人的な愛情は深い。だが、プロ野球選手としての僕にそうした感情はいっさいなかった。 いつのころからか、僕は「藤川球児という個人」と「プロ野球選手としての藤川球児」を意識的に区別してきた。それは公私の別に近い。 どちらも藤川球児というひとりの人間なのだが、マウンドに立つ僕とプライベートな僕とでは、現実に行動原理が異なる。 そこを区別することで、僕は多くのファンから夢を託される重圧に耐えてきたのだろうし、自分のなかの別人格を意識することによって、ある種の緊張感をキープすることができたのだと思う。 高知ファイティングドッグスの一員として再びボールを握ったとき、昔、斎藤雅樹さんに憧れていたころの自分を思い出した。 ただ楽しく野球ができさえすれば、ほかには何もいらない。心からそう思っていたころの僕が、プロ野球選手としての藤川球児より大きな存在になっていた。そうして楽しかったころの野球の感覚を全身で再び味わっていたとき、プロ球団から再びオファーをいただいた。 プロから誘いを受けながら独立リーグを選択したとき、僕はプロ球団側のプライドに傷をつけている。そう自覚していたから、あらためて声をかけてくれたことに、僕はこれ以上ない冥利を覚えた。 だが、僕は迷っていた。プロ野球選手としての藤川球児は、すでに戦意を失いつつあった。自分は、周囲の期待に応え得る選手なのだろうか。復帰するなら、どの球団を選ぶべきなのか。