エイフェックス・ツイン最大の問題作『Selected Ambient Works Volume II』はなぜ衝撃的だったのか?
後世のシーンに決定的な影響を与えた理由
上述した「#3」の反復的なメロディを耳にすると、レディオヘッド『Kid A』(2000年)の冒頭曲「Everything In Its Right Place」における、Prophet-5で奏でられた印象的なイントロが連想される。『Kid A』はIDMの影響下にある作品で、トム・ヨークはエイフェックス・ツインからの影響について「彼はエレクトリックギターを用いるのとは異なる、僕のもう一つの世界を切り拓いてくれた」と語っているが、「Everything In Its Right Place」や「Kid A」、「Treefingers」といった同作の収録曲を聞けば明らかなように、当時の彼はIDMのビート・プロダクションよりも、柔らかくも荒涼としたアンビエンスにより刺激を受けていたのではないだろうか。そのあたりはレディオヘッドが後年、ダブステップから影響を受けた『The King of Limbs』(2011年)で明確にビートを強調していたのとは対照的だ。 「#3」はその後、ポストダブステップを象徴するブリアルの傑作『Untrue』(2007年)に収録されたインタールード的な楽曲「UK」で、ほぼそのままの形でサンプリングされることで、アルバム全体の漆黒めいた世界観を補強している。また、エモ・ラップの第一人者であるリル・ピープの「we think too much」(2016年作『HELLBOY』収録)では、『SAW Vol.Ⅱ』から「#21」がサンプリングされている。抗不安薬のザナックスを摂取しながら、TR-808が紡ぐトラップ・ビートの上で身を切るようなラップをしてきた彼だが、同曲では「#21」の厳かなメロディに身を任せるように、ゆったりと柔らかにライミングをしてみせる。このように『SAW Vol.Ⅱ』のアンビエンスは、世代や国境を越えてある種の表現者たちに受け継がれてきた。 「#22」では霧のように立ち込めるドローンとともに、ヴォイス・サンプルに注目したい。このくぐもった声は、女性が夫を殺したことを告白している様子を、盗まれた警察のテープからサンプリングしたものだという。その真偽は置いておいて、重要なのはこのエコーで処理されたようなヴォイス・サンプルが、この世のものとは思えない、まるで幽霊のつぶやきのように感じることだ。 2000年代後半に勃興したチルウェイヴの影響を受け、ウィッチハウスやインディーR&B、ヴェイパーウェイヴなど様々なジャンルの音響がアンビエント化していくなか、「ゴーストリー」という形容がたびたび使用されるようになった。そのホラー・テイストな感覚のルーツに『SAW Vol.Ⅱ』もあるのではないか。ヴェイパーウェイヴの先駆者としても知られるOPNことワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、『SAW Vol.Ⅱを「不吉な、重苦しい暗黒」と評しつつフェイバリットに挙げている。 エイフェックス・ツインが創り出した、どこか憂鬱で仄暗く、甘美な瞬間を持つアンビエンスは、世紀末のイギリスに産まれ、そこから世界中を覆っていった。これだけの影響力をもった要因として、彼のアンビエンスはどこか、人間が心のうちに秘かに持っている言葉にしがたいエモーションに触れているのではないか。イーノが聞き手の「環境」を重要視していたのに対し、エイフェックス・ツインは『SAW Vol.Ⅱ』のなかで「心象風景」を無意識的のうちに捉えているようにも映る。彼のアンビエント・ミュージックは特定の「場所」ではなく、人の心の深淵の部分に音楽が宿っているような感じがするのだ。その結果、ややもすると単なるBGMに陥ってしまうアンビエント・ミュージックに、これまでにない可能性を開いたのではないだろうか。 もしそうだとすれば、「興味深いだけでなく、無視できるものでなければならない」というイーノのアンビエント・ミュージック観を『SAW Vol.Ⅱ』には適用できないだろう。人はその心に触れる音楽を無視することはできないからだ。エイフェックス・ツインは、本作でまったく新しいアンビエント・ミュージックを提示したのかもしれない。 --- エイフェックス・ツイン 『Selected Ambient Works Volume II (Expanded Edition)』 発売中
Rolling Stone Japan 編集部