エイフェックス・ツイン最大の問題作『Selected Ambient Works Volume II』はなぜ衝撃的だったのか?
『SAW Vol.Ⅱ』の音楽的特徴
もう一つの大きな特徴として挙げられるのは、前作『Selected Ambient Works 85–92』の時点では存在していたビートが、多くの楽曲で存在していないか、目立たなくなっている点だろう。とはいえ、マーク・ウィーデンバウムによる研究本『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム──セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』でも詳細に記載されているように、ビートは決して不在というわけではない。「#5」ではスロウ・テンポなドラム/パーカッションがビートを刻んでいるし、「#9」でもベースラインとビートが硬直したグルーヴを響かせており、ミニマル・ダブの趣がある。「#15」はインダストリアルでダビーなビートが明確に刻まれており、それが楽曲の柱となっているし、「#18」ではパーカッションがトーキング・ドラムを思わせる音色のドラムとともにビートを紡いでいる。 歴史的名盤はしばしば神話化され、細部を誤読(聴)されている様子が散見されるが、『SAW Vol.Ⅱ』はビートを完全に排除しようとしたのではなく、アンビエント・テクノにおける「アンビエント」の部分により注力し、その結果ビートの部分が薄れていったという理解が正確ではないかと思う。ただ、「#3」のようなシンプルなコード/メロディのリフレインによって構築された楽曲を聴けば、「ビートが入っていない」と強調したくなる気持ちもわからなくはない。それほどに本作の収録曲はミニマリスティックな構成で、耳を惹きつけられるアンビエンスと、これぞエイフェックス・ツインと言いたくなるような、ロマンティシズムと寂寥感がないまぜになったメロディがとりわけ印象深い。 『SAW Vol.Ⅱ』のメロディは、多くても3パターン程度の、決して長くはないフレーズがループされる。同年にリリースされたアンビエント・テクノの名盤、グローバル・コミュニケーション『76:14』のプロダクションが緻密に作り込まれていたのに対し、『SAW Vol.Ⅱ』のアレンジは簡素だが、それゆえキャッチーと呼んでも差し支えなさそうなメロディとアンビエンスが際立っている。例えば「#10」でのドローンのレイヤリングが呼び込む不穏なアンビエンスも同様で、「精緻な」作曲性よりも「直感的な」アレンジと捉えたほうがしっくりきそうだ。 音楽評論家の高橋健太郎は「アンビエント・ミュージックがアコースティックからエレクトロへと傾斜していったのは、微細な持続音を使ったアンビエンスの創出には、シンセサイザーがうってつけの楽器だったことが大きいだろう」と指摘しているが(『ミュージック・マガジン』2024年7月号 ブライアン・イーノが提唱したアンビエント・ミュージックという概念を考える)、『SAW Vol.Ⅱ』はエイフェックス・ツイン独自のドローン・サウンドを大いに堪能できる作品でもある。 「#14」も重要な一曲で、細かく振動する電子音のドローンが楽曲の中心となっており、それが背後でゆっくり流れるメロディと溶け合いながら突き進んでゆき、終盤ではグリッチ・ノイズがスパイスとなる。こういったノイジーなエレクトロニクスのドローン的使用は、このあと90年代終盤からゼロ年代にかけて隆盛を誇った、電子音響~エレクトロニカにおいて徹底的に追及されていくことになる。そういう意味で、『SAW Vol.Ⅱ』のドローンは同時代のオヴァルとともに先駆的な音響だったともいえるだろう。