自分ではどうにもできない…逆境に立たされた渋沢栄一が考えた「唯一の策」とは?
このうち「人にはどうしようもない逆境」とは、立派な人間が、真価を試される機会に他ならない。では、「人にはどうしようもない逆境」に立たされた場合、その境遇にどう対処すべきなのかというと、わたしは神様ではないので、それに対する特別の秘訣を持っているわけではない。またおそらく社会にも、そういう秘訣を知った人はいないだろうと思う。 しかし、わたし自身が逆境に立たされたとき、自分でいろいろと試し、また何が正しい道筋なのかという観点から考えてみたことがある。 その内容をここで明かしてしまうと、それは逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、「自己の本分(自分に与えられた社会のなかでの役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか。 現状に満足することを知って、自分の守備範囲を守り、「どんなに頭を悩ませても結局、天命(天の神から与えられた使命)であるから仕方がない」とあきらめがつくならば、どんなに対処しがたい逆境にいても、心は平静さを保つことができるに違いない。 ところがもし、「このような状況はすべて人の作り上げたものだ」と解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、無駄に苦労の種を増やすばかりでなく、いくら苦労しても何も達成できない結果となる。最後には逆境のなかで疲れ切って、明日をどうするかさえ考えられなくなってしまうだろう。 だからこそ、「人にはどうしようもない逆境」に対処する場合には、天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず努力するのがよいのだ。 これとは逆に、「人の作った逆境」に陥ったらどうすればよいのだろう。これはほとんど自分がやったことの結果なので、とにかく自分を反省して悪い点を改めるしかない。世のなかのことは、自分次第な面も多く、自分から「こうしたい、ああしたい」と本気で頑張れば、だいたいはその思いの通りになるものである。 ところが多くの人は、自分で幸福な運命を招こうとはしないで、かえって最初から自分でねじけた人となってしまい、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいと思っても、それを手に入れられるはずがないではないか。
渋沢 栄一/守屋 淳