明石家さんまは「“人”とお仕事をなさる方」 盟友・三宅恵介氏が語る『心はロンリー』誕生&21年ぶり復活秘話
■「視聴率が20%を超えるか、10%を切ったらやめよう」 第1作は、90分の単発ドラマ枠『月曜ドラマランド』で84年12月17日に放送。この枠は主にコメディ漫画を実写ドラマ化した作品がラインナップされ、喜怒哀楽をオーバーに表現する演出手法が多かったが、それとは逆に自然な演技の中にギャグを入れることで、「こういう笑いもあるんだというのを示そう」と狙って始まった。 真面目なドラマの中にギャグを散らすという異例の作品だけに、「この番組が王道になってはいけないということで、視聴率が20%を超えるか、10%を切ったらやめよう」と話していたのだそう。すると、第5作(87年3月20日放送)で19.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区、世帯 ※以下同)とギリギリのラインまで上昇したが、第9作(89年3月3日放送)で9.1%と2ケタを割り込み、それまで年1~2回のペースで放送されてきたシリーズが休止期間に入る。 そこから約8年のインターバルを経て、参宮橋金曜サークルで再びやろうと気運が高まり、第10作が97年8月29日に放送された。サブタイトルは「南の国から'97」で、さんまは子どもと一緒に沖縄に移住した男を演じ、2度の沖縄ロケを敢行して大赤字に。それでも、6年を置いて第11作を2003年8月29日に放送したのを最後に、再び長い休眠期間に入っていた。
夢かなわずフジから異動になった社員の思い
そして、21年の時を経て『FINAL』が放送されることが決定。動き出したきっかけは、2022年にフジテレビ制作センターの局長からフジパシフィックミュージックの社長になった立本洋之氏からの言葉だった。 「彼は『心はロンリー』を作りたいと思ってフジテレビに入ったんだけど、その思いがかなわず異動になったと聞いて、この話をさんまさんにもしていたんです。ちょうど同じ時期に、山崎裕太くんのところに『あっぱれさんま大先生』の同窓会をやってほしいという声が寄せられて、僕のところに“やれませんかね?”と相談が来ていたので、それをさんまさんに伝えたら“ありがたい。こんなときだからやりましょう”と快諾を得て、編成にお願いして両方やることになりました」 『心はロンリー』は、多くの手間暇と予算がかかる番組だけに、テレビを巡る環境が変わった中で、参宮橋金曜サークルの面々はもうできないと思っていたが、「さんまさんというのは、“人”とお仕事をなさる方なので、やってほしいという人たちの思いに動かされたんだと思います」と解説。 振り返ると、さんまは自身が総合司会を務めた『FNS27時間テレビ』の生放送中に名曲「笑顔のまんま」を作ってくれたBEGINに、お礼として沖縄のイベントにノーギャラで出演したり、アンジャッシュ・児嶋一哉のオファーで千葉テレビ『白黒アンジャッシュ』に破格のギャラで出演したりと、“人”とのつながりを大切にするエピソードが数しれず、今回の成立経緯にもその人柄が表れている。 再始動が決まり、22年12月、参宮橋金曜サークルの面々が20年以上ぶりに中華料理屋に集まった。さんまが希望したのは、刑事役。それを受け、君塚氏が2週間後にプロット(ストーリーの筋)を出し、打ち合わせを重ねて23年6月に第一稿の台本が上がった。そこからワンショット出演も含めてキャスティングが進み、その当て書きも入れていくなど直し作業を進め、決定稿は同年9月に完成した。シーン数は、実に128に上る。 クランクインは翌月の10月22日で、全体のクランクアップは11月29日だったが、今年に入り4月11日深夜の『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の生放送での撮影をもって、さんまのクランクアップとなった。