あわや事故も、大正・昭和天皇の鉄道「ご受難」史 勾配で電車逆走し衝突寸前に、脱線にも遭遇
ゴールデンウィークの最初の祝日は4月29日の「昭和の日」である。昭和天皇の誕生日に由来するこの日は、1948年の祝日法の制定後は「天皇誕生日」、それ以前は「天長節」と呼ばれ、祝われてきた。 【写真で詳しく】明治時代に製造された1号御料車(初代)、大正時代に製造された7号御料車など 昭和天皇は鉄道との関わりも深く、生後3カ月後に鉄道で日光に移動して以降、「87年8か月の生涯で、列車に乗車しなかったのは、最後の年昭和64年だけだった」(『昭和天皇御召列車全記録』原武史監修)という。 今回は若き日の昭和天皇および父君の大正天皇が、鉄道という交通手段を使ってどのような旅をされたのか、いくつかの興味深いエピソードを見ていくことにする。
■大正天皇の熱海への旅程 明治の鉄道開業以来、天皇・皇后両陛下が鉄道で各地に移動される際には「御召(おめし)列車」が使われてきた。 さいたま市の鉄道博物館には、御召列車の牽引専用機として製造された「EF58形61号電気機関車」や、1876年に明治天皇が乗車するために製造された最初の御料車「1号御料車(初代)」をはじめ、歴代の6両の御料車が展示されている(御料車=天皇・皇后両陛下をはじめ、皇室の方々専用の特別車両。御召列車のほぼ中央に連結)。いずれも気品溢れる意匠が施された優雅な車両である。
もちろん、こうした専用車両だけでなく、一般の車両を貸切で御召列車にすることも多い(近年は新幹線での移動も多い)。また、明治時代、皇太子だった大正天皇の地方視察の際は、臨時列車ではなく「一般客も乗る通常の列車に御料車を連結する場合があった」(前掲書)という。 ご病弱だった大正天皇は、ほぼ毎年、冬になると避寒のため東京を離れられたが、『大正天皇実録』(宮内省図書寮編纂)には、皇太子になられる10カ月前の1889年1月13日に、東京を出立し、当時の熱海村加茂第一御料地を訪れた際の旅程が記録されており興味深い。以下は、『大正天皇実録』よりの引用である。