小さな独房で「人間缶詰」に…女性への酷い拷問が続くイランと日本社会の「そっくりな点」
男女の二項対立の不毛さ
日本でもつい最近まで、女性が露出度の高い格好をしていれば性被害に遭っても仕方がないと思われてきました。また先進国最下位と叫ばれて久しいジェンダーギャップ指数に表れているように、女性の政治・経済分野への参画は世界から大幅に立ちおくれています。訳しているうちに、イラン女性の身に起きていることは遠い恐ろしい国の出来事ではないのだと背筋が寒くなりました。 日本でもこのようなことが起こりうるのか。 そうなったとき、私たちは証言者のように不屈の精神で立ち向かうことができるのか。 彼女たちの心に灯をともし続けるものは何なのか。 その答えのヒントは、私がこの本で強く共感した部分でもあるのですが、「圧倒的な男性優位社会は男性に対しても優しくはない」点にあると思います。 強者集団からこぼれ落ちた男性は女性よりも打たれ弱いと看破するイラン女性は、男女の二項対立の不毛さを分かっているのでしょう。 人間は生まれて死ぬまでの間、人に頼ったり頼られたり、その広がりの濃淡のなかを生きています。ずっと強者のままでいられる、ずっと弱者のまま虐げられる、そんな人が存在する社会は結局のところ誰にとっても生きづらいのです。これは日本で主婦をしている私が肌で得た感覚で、この本の女性たちも同じように感じているに違いありません。私たちの願いは、好きな服を着て、労働に見合った対価を得て、家族と幸せに暮らし、善き生活者でありたい、それだけです。 そこに男女の違いは存在しないはずですが、その当たり前を実現するためにイラン女性は獄中で拷問を受け、日本女性はチクリと痛い思いをしながら日々をやり過ごしています。 著者はとてつもなく勇敢な人物です。私はこうしてイラン社会と日本社会の共通点を挙げながらも、「立ち上がって連帯を示そう」と言う勇気がありません。ただ、彼女たちのことを思い続け、考え続けることをやめません。たとえそれが何の役にも立たず、彼女たちの苦しみをやわらげないとしても、宗教を持たない私にとって、そうすることが最も祈りに近い行為だと思うからです。
星 薫子