【第1回】もしも新選組が「相対主義」だったら……!?(前編)──『君たちはどの主義で生きるか ~バカバカしい例え話でめぐる世の中の主義・思想』より
「人はみな、自分なりの主観的な物差しで認識する」
世の中には様々な価値観があります。特に現代社会では、モラルも宗教も礼儀も生き方も趣味趣向も、無限の様式が存在すると言っていい。 そんな中で、「お釈迦様は認めるけどキリストは認めないよ」「異性愛は認めるけど同性愛は認めないよ」「きのこの山は認めるけどたけのこの里は認めないよ」「『鬼滅の刃』の禰豆子の身体再生能力覚醒は認めるけど鬼舞辻無惨消滅後の竈門炭治郎の鬼化は認めないよ」などといちいち争っていたら、キリがありません。 みんなちがって、みんないい。私とあなたは違うけれど、どちらも同じくらいいいよね。とするのが相対主義です。 相対主義は、紀元前5世紀、今からおよそ2500年も前にこの世に生まれました。古代ギリシア・アテネで民主制が発展したことにより、政治家の弁論術として考案されたのが発端です。 古代ギリシアの哲学者プロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」という言葉を残しています。 「尺度」は、定規とか物差しのこと。人間は万物の尺度というのは言い換えると「人はみな、自分なりの主観的な物差しで物や事を認識するのだ」ということです。主観的なので、人によってバラバラというのがポイント。その人がどのような尺度を設定するかによって、物事の受け止め方や評価はガラッと変わるんです。新選組の側に立つか龍馬の側に立つかで善悪の概念も180度変わってしまうように。 【後編】へ続く
さくら剛