「タワマンは将来の廃棄物」という主張は正しい… “年86万人減”の社会に高層建築はいらない
「タワマンは将来の廃棄物」
神戸市では市中心部でタワマン、すなわち20階建て以上のマンションが、事実上新築できなくなった。7月29日付の朝日新聞で、久元喜造市長がその理由を話しているが、目先にとらわれず先を見据えた正論である。 「人口が減るのが分かっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物を作ることに等しい。タワマンはその典型」というのが市長の回答で、記事では「廃棄物」についての久元市長の見解を、さらにつぎのように記している。 <タワマンが老朽化すれば修繕費はかさむ。居住者は多種多様で合意形成は難しく、修繕費の備えも不十分にならざるを得ない。いずれ価値が下落して居住者が減れば、解体費用をまかなえずに廃墟化し、まちの中心部に残る――> <市中心部のタワマン建設ラッシュで住民を引き寄せれば、都市部の過密と同時に周縁部の過疎は一層加速する。増える空き家は、じきに廃棄物に。郊外が「歯抜け」状態となれば、本来はまちづくりに生かすべき鉄道などのインフラの維持が難しくなり、市の資産は負債に転じる> 私が拙稿を書いている最中に、この朝日新聞の記事が掲載された。そして、私が途中まで書いたことと、ほとんど同じ趣旨の主張であることに驚くとともに、慧眼の市長の存在を知って希望を持った。 人口が減少する局面では、タワマンにかぎらずマンションを建てる必要はない。建てただけ日本中に廃墟が増える。新築したマンションが廃墟になるだけでなく、周縁部が過疎化して廃墟になる。だから、もう建ててはいけない。建てなければ、すでに壊れてしまった景観を少しでも維持することにもつながる。 しかし、神戸市などごく一部の自治体を除き、日本の都市は廃墟へとまっしぐらに進んでいる。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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