89歳「倉本聰」の新作「海の沈黙」は構想60年 着想の原点は東大教授の“脳髄にひびく”言葉だった
美には利害関係があってはならない
東京大学文学部美学科の学生だった頃、演劇活動やアルバイトで忙しい倉本は、ほとんど授業に出ていなかった。ところが、ある日、久しぶりに足を運んだ教室で、とんでもないものに出会う。「美には利害関係があってはならない」という言葉だ。それはアリストテレス美学の基本となる教えだった。 ただし、教壇にいた教授がその通りに言ったのか、それとも倉本が勝手にそう解釈したのか、今となっては判然としない。「しかし、僕にはそのように聞こえ、落雷のように脳髄にひびいた」と倉本は言う。 さらに《この言葉を教わったことで二浪までして東大に入った意味があったとその時僕は本気で思った。これからはこの言葉を自分の行動の全ての基礎に置く。それで充分だ! /本当に充分だ! 東大に入ったのはこの言葉に出逢う為だったのだ。よし、これで東大は卒業! 勝手にそう思い、そう決め込んで、以後すっぱりと本郷通いを断った》と自伝的エッセイ「破れ星、流れた」(幻冬舎)の中で回想している。 美とは全ての行動規範である。創るのも美なら行動も美だ。ならば、これをこれからの自分の行動の基礎に据えようと青年・倉本は思った。今後、あらゆる行動、あらゆる思考に利害関係を絡ませることだけは一切しまいと決めたのだ。それは倉本の生き方の「原点」となった。
倉本氏の怒り
本作の主人公・津山竜次(本木)が“スイケン”こと碓井健司(中井貴一)に向かって言う。 「夢を見た。俺が描いたゴッホの贋作、その前にゴッホがいて、その絵を見てるんだ。ゴッホは振り返って俺に向かって急に言ったのさ。『いい絵だろ、俺が描いたんだ』。『いい絵ですね』って俺がホメたら、ゴッホも嬉しそうにまたその絵に見入ってた。おかしいだろ」 何と寓意に満ちたセリフだろう。絵描きが描いた作品がある。名のある評論家が認め、権威者たちが太鼓判を捺すことで、それに何億という値がつく。後日、その作品が贋作だったと判明すれば、一転、今度は誰もその絵には見向きもしない。美の基準とはそんなものなのか。ならば美とは何なのか。 その問いに、倉本は竜次を通じて答えている。「美しいものは只(ただ)記憶として心の底に刻まれていればいい。その価値を金銭(かね)で計ったり、力ある人間が保証したりするということは、愚かなこととしか思えない。美は美であってそれ以上でも以下でもない」と。まさに美には利害関係があってはならないのだ。 美術界においては権威を持つ者が価値を決め、それをお上(かみ)が認定して箔をつける。美の価値が、ある特定の人々によって決定され、その作られた価値に踊らされる者も後を絶たない。「永仁の壺事件」の時代から現在に至るまで変わらない構造だ。しかも、それは美術界に限ったことではない。すべての創造行為の背後に潜む宿痾だと言っていい。 倉本がこの映画に込めたのは、人が作ったものの価値を人が決めるという矛盾に対する静かな、しかし強い怒りだ。美(創造)には利害関係があってはならない。美は美であってそれ以上でも以下でもない。そのことを集大成となる作品で言い切ったのが、まもなく卒寿を迎える現役脚本家であることに、あらためて大きな拍手を送りたい。
碓井広義(うすい・ひろよし) メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。新聞等でドラマ批評を連載中。著書に倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎新書)、編著『少しぐらいの嘘は大目に――向田邦子の言葉』(新潮文庫)など。 デイリー新潮編集部
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