89歳「倉本聰」の新作「海の沈黙」は構想60年 着想の原点は東大教授の“脳髄にひびく”言葉だった
11月22日に封切られた映画「海の沈黙」(若松節朗監督)。巷では主演を務めた本木雅弘(58)と小泉今日子(58)の32年ぶりの共演が話題だが、脚本・原作を務めた倉本聰氏(89)が映画を手がけるのはなんと36年ぶり。さらに、構想に費やした期間は実に60年という。倉本氏が「海の沈黙」に込めた思いを、氏の弟子でメディア文化評論家の碓井広義氏が読み解く。 【写真】本木雅弘は“グレーヘア”で印象がらり! 映画「海の沈黙」の豪華キャストを見る ***
映画「海の沈黙」を観終わって真っ先に浮かんだのは「原点」という言葉だ。原点とは、物事の根源を成すところである。ある贋作事件を梃子(てこ)に「美とは何か」という問いと正面から向き合うことで、倉本聰は創造者としての原点に立ち返ると共に、自らの脚本家人生に一つの「落とし前」をつけたのではないか。そう思った。 実は、かつて倉本は「贋作」をテーマとした作品を作ったことがある。今から約60年前、ニッポン放送のラジオドラマだった。タイトルは「永仁の壺異聞」。ただし、脚本家は別にいて、社員ディレクターだった倉本が演出を担当したのだ。 モチーフとなったのは「永仁の壺事件」と呼ばれる古陶器の真贋騒動である。1960(昭和35)年、鎌倉時代の古瀬戸の傑作とされた通称「永仁の壺」が、実際は現代の陶芸家・加藤唐九郎によって作られたものであることが判明したのだ。国の重要文化財に指定されていたこの壺は、発覚後に指定を解除された。当時の美術界はもちろん、文化財保護行政にも大きな影響を与えた事件だ。 このラジオドラマは、贋物とされた「永仁の壺」を擬人化して“主人公”に据えるという大胆なものだった。それまで美術館で大切に扱われてきた壺が、突然ガラスケースから出され、人目につかない場所へと移される。壺はぞんざいな扱いを受けたことに怒り心頭で、深夜、下駄を履いてカランコロンと上野の山を下りていく。 そして町の居酒屋に入って酒を飲み、「なんでえ、みんな昨日まで『美しい』と言って俺をちやほやしてたのに、加藤唐九郎が作った贋物と聞いたら手のひら返しじゃねえか」と管を巻くのだ。「美だ、美だって言うけど、じゃあ一体、美とは何なんだ!」と騒いだ壺は、結局、店の親父さんに放り出され、また夜の街をガラガラと転がっていく。これを俳優の小沢昭一が演じた。 若きディレクターとして携わったこの作品は、その後、倉本の中で静かに沈潜していくことになる。なぜなら「美とは何か」の追究は学生時代からの大事なテーマだったからだ。