「中国は嫌われている」一方で、三国志を好む日本人...この矛盾はなぜ生まれたのか?
現代中国を知るための中国史
私は、普段はジャーナリズムの立場から中国に向き合っている。ただ、かつて大学と大学院(修士課程)ではもっぱら東洋史(中国史)を学んでいた。 経験から述べれば、中国史の知識とは、単なる好事家のオタク雑学や、カビの生えた無用の学問ではない。現代中国と対峙して分析するという「業務」のうえでは、会計やプログラミングなどと同様に役に立つ実用的知識である(それらの基礎を学んでいない場合、具体的に何がどう役に立つのかを十分に想像できない点も、会計やプログラミングと同様だ)。 ただ、現代中国に関係している日本人の多くが、必ずしも得意でないのもこの分野だ。 現在、対中外交の最前線を担う外務省のチャイナ・スクール(中国語研修班出身者)の外交官や、中国報道を手掛ける記者たち、さらに企業で長年中国業務に携わっているビジネスパーソンには、標準中国語の高い運用能力を持つ人が多い。 中国共産党の指導部である合計7人の党常務委員の名前やおおまかなプロフィール、直近の対日交流日程などは多くの人が把握している。党大会や全人代などの重要会議で発表されたコミュニケや、香港国家安全維持法や反スパイ法のような重要法案の原文を、みっちりと読み込んでいる人も多い。大国・中国に向き合うセクションは花形部署であり、担当者の多くは勤勉で優秀な人たちなのだ。 だが、彼らのなかで、清朝の奏摺(地方官が皇帝にあてた報告文)を、ある程度でも読解できる人はほとんどいないだろう。李世民や岳飛や乾隆帝(いずれも中国側では非常に著名な歴史人物)の人物評について、中国人と世間話を続けられる人も稀だと思われる。 そのため、たとえば中国政府が尖閣諸島の領有権の根拠として挙げている明の官僚の沖縄出張報告書『使琉球録』を、原書に触れて解釈できる日本側の外交官やジャーナリストは、おそらく限られている。 また、習近平は演説のなかで古典をしばしば引用するが、その意味するところを肌感覚で察せられる人も決して多くない。現代中国の政治や社会・経済を専門とする研究者の世界にも、おそらくこれと近い問題がある。 実は日本の中国史・中国古典研究はそれなりに蓄積がある分野だが、「別物」感覚が強いせいか、残念ながらその知見は現代中国のプロたちとの間で必ずしも共有されていない。結果、メディアの露出や政策提言の機会が多い彼らの情報発信に、歴史や古典の視点は十分に反映されないでいる。 これは、考えてみると非常にもったいない話だ。 現代の国際社会において、中国の古典世界に長年接した伝統があり、現在でもその理解が可能な下地を持つ非中華圏の主要国は、日本と韓国くらいしかない。ただ、韓国はすでに漢字を日常的に使わないので、この分野での日本のアドバンテージはかなり大きい。 中国史の知識は本来、西側各国のなかでほぼ日本のみが圧倒的な優位性を持つ貴重な戦略的資源のはずなのだ。現代中国の分析なり政治判断なりビジネスなりの分野で、もっと有効に活用できないものかと歯がゆい思いがする。
安田峰俊(紀実作家)