【名馬列伝】スプリントからマイル、中距離GⅠを総なめにした“風の化身”ヤマニンゼファー。距離の壁を突き抜けて執念で掴んだ秋の盾
調教師の栗田博憲は中山記念の走りを見た時点で、秋の大目標を天皇賞に定めていた。そのため、距離延長に耐えうるだけの心肺機能などを強化するため、夏の休養が終わるとヤマニンゼファーにハードトレーニングを課し続け、それは天皇賞の直前まで続いた。 秋の初戦は毎日王冠(GⅡ、東京・芝1800m)に臨んだ。道中はいい雰囲気で4番手を追走して直線へ向いたが、ヤマニンゼファーは調教での疲労蓄積もあったのか、シンコウラブリイから0秒9差の6着に敗れてしまった。それでも栗田調教師は秋の天皇賞へ進む気持ちは一切ブレなかった。 この年の天皇賞(秋)は「一強ムード」に包まれていた。その馬は”現役最強馬”の誉れもあったメジロマックイーンなのだから仕方があるまい。しかし、のちに誰も予想できない事態が起こる。 直前の京都大賞典(GⅡ、京都・芝2400m)を圧勝し、本番へ向けて調整される過程でメジロマックイーンは繋靭帯炎を発症。なんとそのまま、現役引退を電撃発表。秋の天皇賞戦線は一気に混戦ムードへと傾いた。 この年の天皇賞(秋)はライスシャワー、ナイスネイチャ、ツインターボが上位人気を占めていた。前走の毎日王冠での敗戦が影響したのであろう、ヤマニンゼファーは単勝オッズ11.7倍の5番人気に甘んじた。だがレースは、歴史的と言っても過言ではない壮絶な競り合いとなった。 馬名の通りツインターボが軽快にかっ飛ばすなか、ヤマニンゼファーは離れた2番手を追走。抜群の手応えで進む彼は最終コーナーを回り切らないうちにツインターボを捉えて先頭に躍り出る。 ヤマニンゼファーは芝の状態が良い馬場の中央へと進路をとって一目散にゴールを目指したが、そこへ馬群から抜け出してきたのは前年の安田記念でヤマニンゼファーの手綱を取っていた田中勝春が騎乗するセキテイリュウオーだった。 粘るヤマニン、迫るセキテイ。2頭の激しい競り合いが100m以上に渡って繰り広げられたが、最後に踏ん張ったヤマニンゼファーが僅かにハナ差で先着。調教師の栗田が「2000mのGⅠを勝ちたい」という夢を、ついに実現させた。 秋の盾を掴み取ったヤマニンゼファーは次走のスプリンターズステークスで短距離の絶対王者サクラバクシンオーの2着に入ると、これを最後に現役引退。スプリント、マイル、中距離GⅠを制覇する当時としては珍しい勝ち鞍が高く評価され、同馬は無事に種牡馬入りを果たした。 ダートの短距離から始まって、芝のマイル路線へ進み、ラストは中距離のGⅠ勝利で締めるというステップ・バイ・ステップで進化していったヤマニンゼファー。もちろん、強敵と見ていたメジロマックイーンの直前リタイアが天皇賞(秋)制覇に及ぼした影響は少なくないだろうが、持ち前の持続力あるスピードを活かしきってのGⅠ制覇はとても価値があるものだ。同時に、筆者がひとり快哉を叫んだことは言うまでもない。 文●三好達彦