スキマスイッチは“共作”─例えば片方が歌詞に悩んだときはどうする?
多忙を極めて生まれた問題点
常田はデビュー20周年を振り返り、その中でもいちばん大変だったときを明かした。 常田:デビューしたあとの3年目。2006年に3枚目のアルバム『夕風ブレンド』が出るんですけど、そのあたりのスケジュールは本当にすごくて。曲で言うと『ガラナ』とかを作った頃なんですけど、1週間に同時に3曲仕上げないといけないとか。その前の年に『全力少年』でみんなに聴いてもらえるようになって、それを受けてからの活動になるので、そういうお話もいただく中で、やっぱりツアーもやらなきゃいけない。発売したときは聴いてもらいたいので全国もまわる。それが1年間で重なってくるので、すごかったですね。 槙野:いい意味で忙しいってことですよね。 常田:そうそう。うれしい悲鳴というか。ただマネージャーからスケジュールが送られてきたときに最後の一行に「死なないようにしようね」って(笑)。「本当にキツかったら言ってくれ」って書いてあって。 槙野:当時、ザッとどんなスケジュールだったんですか? 常田:だいたいこの業界の仕事は昼からなんですけど、撮影とかが入ってくると9時や10時から開始で、そこで取材と撮影をその日に5、6本して、16時くらいからレコーディングでスタジオに戻って新曲とかを作ったりする時間があります。それがない場合は取材がもっと長引いたりテレビの仕事が入ったりして、24時くらいに自宅に帰ってきたら朝5、6時まで歌詞を書いたりしていましたね。ごはんは移動中の車の中で(笑)。全国をまわるときは1日に3都市とか回っていたので、今自分はどこにいるんだろうって。 過密スケジュールが続き、結果「これはもたない」ということで、お互いソロ活動という方法で少し風通しをよくしたと常田は話す。 常田:(当時)2人の仲も悪くて、しゃべらなくなっちゃうんですよね。メールベースでのやりとりとか、スタジオにいるけど違う部屋にいるとか。僕はアレンジをやっていて、卓弥は歌詞を書いているとか。そうなってくると意思の疎通も取れなくなってくるので、お互いソロ活動をして、1年経ったらもう1回ということで2009年にもう1回活動を開始するんですけど、そこからは逆に、事務所には申し訳ないけど時間を作ってもらって制作するようになりました。ゆっくりと。 槙野:そうすると空気もよくなってきたんですか? 常田:いいものができていると自分たちは思っていて。何より体温のある作品があるかなって気が。集中力は前のほうがあるかもしれないけど。だから質が違うと言えばそうかもしれないですね。どちらも好きですけど。