「宝ものだった息子」小2の男子児童(当時8)がインフルエンザの合併症で死亡 涙を浮かべ法廷で語った母親の思いと願い
5歳になる直前でした。白血病を発症し、入院して抗がん剤の治療を受けることになりました。その直後、脳梗塞も発症して、右半身に麻痺が残りました。 あれほど元気に走り回っていた息子が、自分で歩くことも出来なくなりました。 なぜ息子ばかりこのような目に遭わなければならないのでしょう。 それでも、息子は、大人でも逃げ出したくなるような厳しく辛い入院治療を頑張ってくれました。 抗がん剤治療の副作用や、骨髄に直接注射をする激しい痛みを伴う治療。親が子の治療の場面を見るのは辛すぎるので、外に居てくださいと言われました。 処置室の外にまで響き渡ってくる息子の泣き叫ぶ声に、耳をふさぎたくなりました。食事や飲み物にも制限があり、大好きなアイスも食べられませんでした。 何かを食べてもすぐに吐いたり下痢をしたりしました。点滴に繋がれ、行動を制限されました。それでも、私が『頑張ろうね』と声をかけると、『ハイ』と返事をしてくれたり、手のひらでタッチをしてくれたりしました。 治療の甲斐あって寛解となり、9か月後に退院することが出来ました。息子は本当によく頑張ってくれたと思います。 退院後も保育園に通うことはできませんでしたが、卒園式だけは出席させてもらいました。園長先生から卒園証書を受け取った息子は、目を輝かせて喜んでいました。 小学校入学にあたり、息子は感染症に注意が必要と医師から言われていましたので、特別支援学校への進学を希望していました。ですが、特別支援学校でも感染症対策を丁寧に行うことは出来ないと言われ、最終的には、地元の小学校へ入学しました。 ■小学校生活の始まりとインフルエンザ感染・・「代われるものなら代わってあげたい」【意見陳述全文】 2年生に進学した2019年。9月の4週目は、水曜日まで学校を休んだ後、木曜日と金曜日は、3時間目以降の時間を小学校で過ごしました。 土曜日は、学校はお休み。1日中自宅で過ごしました。29日の日曜日の朝、高熱が出たため、病院に行ったところ、インフルエンザとの診断でした。その後は、あっという間に重症化しました。 息子は、数えきれないほどの点滴や注射に耐え、必死にウイルスと闘ってくれていました。それにもかかわらず、次第に笑顔は消え、目を開けることもなくなりました。内蔵の機能が低下していき、顔がむくみ、手足も腫れていきました。顔の色も今まで見たことのない鉛のような色になっていきました。 医師からは「会わせたい人がいれば、早いうちに」と言われました。祖父母が駆けつけ、「代われるものなら代わってあげたい」と涙ながらに声をかけていたことが忘れられません。 最期は、家族が見守る中、息を引き取りました。 わずか8歳でした。