仕掛けを急ぐな、買い場が到来しても3日待て 最強相場師・本間宗久(中)
宗久の教えが今日に伝えられたのは
さて、本間宗久の教えが今日に伝わるにあたっては葛岡五十香(くずおかいそか)の名を外すわけにはいかない。葛岡については庄内鶴岡の酒造家で宗久の弟子であるとともに米相場で巨利を博した人物ということしか分かっていないが、「宗久翁の相場の精髄を伝承して、大富を致せる事実は、いまなお世人の口牌(こうはい)に存するところなり」と解説書にある。 そして葛岡を経てその門弟である石川善兵衛に伝えられ、さらに明治時代に入って早阪二菊という米穀仲買の新解釈を経て今日に至る。 石川善兵衛とは前出の宗久の侠気で助けられた善兵衛のことではないだろうか。早阪は石川善兵衛についてこう記している。 「鶴岡の人。実は阿波の藍玉商の息子で幼いころ父を失い、タバコの賃切りなどをして、わずかな賃銭を得て母を養う。早くから家運を再興すべく意欲的であった。そして日ごろから『少ない金で大きな利益を得るには相場に限る』と語っていた。葛岡が相場法に精通しているのを聞き、請うてその門に入り、相場道の講義を聴くこと3年、雨の日も風の日も1日として休まなかった。葛岡はその熱心さを喜び、多年にわたってたくわえてきた相場道の秘訣をそっくり石川に授けた。石川は酒田と鶴岡で相場に従事、ついに富を重ねて巨万に至る。明治20年(1887)東京の別邸に没した」
「買い場が到来したと思っても3日待て」
いずれにしても、本間宗久の遺訓は多くの人の手を経て21世紀に継承され『三昧伝(宗久翁秘録)』は牛田権十郎の『三猿金泉録』と並ぶ相場のバイブルとして読み継がれている。そのへき頭に置かれるのが「米商いは踏みだし大切のこと」。「踏み出し」(仕掛け)の重要性を以下のように記している。 「踏み出し悪しき時は決して手違いになるなり。また商い進む急ぐべからず。売買とも今日より外、商い場なしと進み立ち候時、3日待つべし。商い急ぐべからずとは天井値段、底値段を見ることなり。天井、底を知る時、利運にして損なきの理なり」 宗久は仕掛けを急いではいけないと説く。買い場が到来したと思っても3日待てという。また第25章「利食い腰を強く」も肝要である。相場が底値に届いているのをみて買い付けた玉が値上がりし、少し下がったからといって簡単に利食いしてはいけない。 「利食い腰を強くとは、じっくりと建玉を太らせてから食べる(転売する)ことがポイント。素人は利食い腰、が弱く「引かれ腰が強い」といわれ、玄人は反対に利食いが強く引かれ腰が弱い」という。 これでは大きく勝って、小さく敗けることはできない。勝負のポイントは勝ちは大きく、負けは小さくに尽きる。相場をやる素人の器量は利益の出た玉の仕切り方で大小を分ける。利益の出た建玉は早く仕切りたくなるのをじっと我慢する。どこまで我慢ができるかによって、その人が相場道で成功するかどうか判別できるという。 相場は勝率を争うゲームではない。仮に1勝9敗であっても、1勝で大勝ちすればいいのである。1回の勝ちをいかに大きくし、9回の負けを極力小さくすることで結果は決まる。<(下)に続く> 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>