V字回復サッカー人生…JリーグMVP家長はなぜ本田圭佑のサプライズに感激したのか
感情をほとんど表情に出さない男が、思わず横浜アリーナの天井を見上げた。心を激しく揺さぶられるほど、予想もしなかった人物からの祝福メッセージが届けられたからだ。 18日夜に開催されたJリーグの年間表彰式「Jリーグアウォーズ」。最大のハイライトとなる最優秀選手賞(MVP)に、J1連覇を達成した川崎フロンターレのMF家長昭博(32)が初選出された直後だった。 会場内の巨大モニターに登場したのは、メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)で活躍中のMF本田圭佑(32)。笑顔を浮かべながら「アキ、久しぶり」と家長へ向けてメッセージを語り始めると、会場を埋めた各チームのサポーターたちも騒然となった。 「もしアキが選ばれなかったら、このメッセージどこ行くんかなと思いながらしゃべっています。でも、これが映っているということは選ばれているということなので。あらためておめでとうございます」 割れんばかりの拍手が湧き起こるのを見越していたかのように、本田がちょっとした間を置く。そして、続けて発せられた言葉に今度は家長が苦笑いで反応した。 「全然連絡してこないので、たまには連絡ください。サッカーに集中して、家族のために頑張っているのはわかりますけど、たまには旧い友人にも連絡をよこして会いに来てください。また昔話でもしましょう」 誕生日がまったく同じ1986年6月13日のレフティー2人は、家長が長岡京サッカースポーツ少年団、本田が摂津FCと地元チームに所属した小学生時代に対戦。本田に惹かれた家長が、本田がガンバ大阪のジュニアユースに入団すると聞きつけてチームメイトになった。 ポジションも攻撃的な中盤で重複していたが、高い評価を得たのは怪童と呼ばれた家長だった。ガンバ大阪ユースに昇格し、高校3年生だった2004シーズンには飛び級でトップチームへ昇格。対照的にユースへ通じる門を閉ざされた本田は、石川県の強豪・星稜高へ進学して捲土重来を期した。 先にA代表デビューを果たしたのも家長だった。20歳だった2007年3月にオシムジャパンの一員としてペルー代表戦で途中出場するも、ガンバでは層の厚い攻撃陣のなかで出場機会を増やせず、2008年に大分トリニータへ期限付き移籍した。 しかし、開幕直前に右ひざ前十字じん帯を損傷する大けがを負い、本田と共演するはずだった北京五輪出場を棒に振る。その後もなかなかトップフォームを取り戻せず、トリニータの2年目だった2009年は左サイドバックやボランチでもプレーした。 迎えた2010シーズン。セレッソ大阪へ期限付き移籍した家長は、夏場からトップ下に定着。乾貴士、清武弘嗣と形成した2列目で眩い輝きを放ち、プロになって7年目で最高のパフォーマンスを演じた。 もっとも、星稜高から名古屋グランパス、VVVフェンロ(オランダ)をへて、CSKAモスクワ(ロシア)へ新天地を求めていた本田はUEFAチャンピオンズリーグで大活躍。岡田ジャパンでも大黒柱を担い、ワールドカップ・南アフリカ大会におけるベスト16進出の立役者になった。