「ラーメンの鬼」死して 電力、広告、特捜、キック……時代に名を残す「○○の鬼」
スポーツ界では
「鬼」がれっぱくの気合いに通じる激しさ、厳しさを表すなら、スポーツ、とりわけ格闘技の世界は外せないだろう。 土俵の鬼・初代若乃花(1928~2010)……第45代横綱。体重100kgそこそこの「小兵」ながら、港湾労働で鍛え上げた足腰を荒稽古でさらに強靭化、気合に満ちた取り口でファンを沸かせた。1956(昭和31)年の九月場所前には事故で長男を失うも、首に数珠をかけた姿で場所入り。12連勝後に扁桃腺炎を発症し休場を余儀なくされたが、鬼気迫る姿はまさに「土俵の鬼」そのものだったという。 キックの鬼・沢村忠(1943~)……剛柔流空手の使い手で、日大芸術学部在学中に全日本学生選手権優勝を含み60戦無敗。旗揚げ間もないキックボクシングに参戦し、2戦目に手痛いKO負けを食らうが、その後「真空飛びヒザ蹴り」を武器に、134連勝を含む通算241戦232勝(5敗4分け)の金字塔を打ち立てた。昭和40年代の少年を熱狂させ、「キックの鬼」の名が浸透したことには、梶原一騎原作の同名漫画の貢献も無視できないが、沢村の国民的人気は本物。1973(昭和48)年にはシーズン三冠王を獲得した王貞治をしのぎ、日本プロスポーツ大賞を受賞している。 スポーツ界には、名前と鬼を逆転させた「用例」も。 まず「鬼の木村」と称された柔道の木村政彦(1917~1993)。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と称えられ無敵の強さを誇ったが、プロレスに転向。対力道山戦の不可解な敗戦以降、表舞台から消えていった。そして「鬼の大松」といえば東京五輪の女子バレーボールチームを率いた大松博文(1921~1978)。「俺についてこい!」主義の猛烈なスパルタトレーニングで「東洋の魔女」を育て上げた。 野球では「神」にも「鬼」にも例えられた元巨人軍監督の川上哲治(1920~2013)がいる。選手としての全盛期には「ボールが止まって見えた」との名言を残した「打撃の神様」、巨人軍のV9を成し遂げた監督時代は、徹底した管理野球と報道管制から「巨人軍の鬼」(同名の著書あり)との異名をとった。