「ラーメンの鬼」死して 電力、広告、特捜、キック……時代に名を残す「○○の鬼」
「ラーメンの鬼」と呼ばれた佐野実の死去からひと月が過ぎた。その追悼展が「新横浜ラーメン博物館」で開催中だ(6月22日まで)。氏の手がけた50種超のラーメンや直筆レシピ、愛用のコック服、意外な素顔を紹介するプライベート写真などを展示。今日のラーメンブームの立役者に向けられた、ファンの惜別の思いにこたえる催しだ。 材料はもちろん、器にまでも徹底的にこだわり、かつては自店に「私語厳禁」「携帯電話使用禁止」と貼り出していた佐野。「ラーメンの鬼」との異名は、ラーメンと向き合う妥協のない姿勢に由来する。業界のカリスマとして佐野と並び称された旧東池袋・大勝軒の創業者、山岸一雄が温厚な人柄から「神様」と呼ばれるのとは好対照だ。 古来、鬼と神は同義との説もあるが、それはさておき、これまで「~の鬼」として人口に膾炙(かいしゃ)する人たちを振り返ってみる。まずは戦前戦後を通じた経済界の重鎮から。
電力の鬼、広告の鬼
電力の鬼・松永安左エ門(1875~1971)……戦前は九州・関西・名古屋で電力事業を展開。東京電力の設立にも参画して「電力王」との異名をとりながら、軍部主導による電力の国家管理に反発して隠遁(いんとん)。戦後、旧国策会社側の反対を押し切り「9電力体制」を構築、さらに世論の反発をよそに「適正価格」として電気料金の値上げを強行した。その剛腕ぶりから「電力の鬼」と呼ばれるに至った。 広告の鬼・吉田秀雄(1903~1963)……電通の第4代社長。「賤業(せんぎょう)」と見下されていた広告のイメージを一新させ、業界の近代化に邁進(まいしん)。戦後は民間放送の可能性に着目し、その発展に主導的役割を果たした。自ら「鬼」と称した吉田の哲学は1951(昭和26)年8月に発表した「鬼十則」に端的に示される。「仕事ハ自ら創ル可(べ)キデ、与エラレル可(べ)キデナイ」に始まる十則は、多くの職業人に信奉される「仕事心得」だ。