星野仙一氏が語っていた金本阪神移籍秘話
いかに阪神の変革に金本が必要かを、あの球界屈指のスピーチ力で説いた。 もはや有名になっているが、「球界全体を考えろ」「おまえは俺と一緒に歩むことなっている」などの名セリフを投げかけ、「とにかく早く(判子を)押せ!今すぐ決めろ!」と即決を迫ったという。 半ば脅しだった。 「カネには、広島愛がある。“考えます”と時間を与えたら、迷うことは間違いない。だから、あのときは、すぐ決めさせないとあかんかった」 当初、提示した条件は、3年9億円(金額は推定)。 星野氏の大迫力に押された金本は、「すぐ(判子を)押しますから4年契約にしてください」と要求したという。おそらく、そうでも言えば、もう少し考えるための時間稼ぎができると考えたのだろう。だが、そこでの対応が、また星野氏流だった。 「わかった。4年でOKだ」と、その場で4年12億円(金額推定)の条件を認めて判を押させたのである。 即決即断。 そのスピード感と決断力は一流企業のリーダーと共通した部分。久万オーナーからの“全権”をもらっていたといえど、今までの阪神では考えられないような決断力だった。 実は、この時、狙っていた元ヤクルトのロベルト・ペタジーニの争奪戦で巨人に敗れ、FA交渉していた中村紀洋氏も近鉄残留を決め、“星野構想”が頓挫しかけていた。それだけに金本氏は絶対に欲しい戦力だったのである。 中日時代にロッテの落合博満氏の1対4トレードを実現させ、中尾孝義氏ー西本聖氏の同一リーグのライバル巨人とのトレードまでやってのけてきた星野氏は、有能なGM兼任監督だった。 中日、阪神、楽天と、3球団で低迷したチーム再建に成功して優勝監督となっているが、いずれも本社やフロントを説き予算と決定権を握った上で自ら補強交渉に動いている。積極投資が勝利につながれば、確実な経済効果を生む、という資金力のあるメジャーのトップチームが採用していたスポーツマネジメントである。 そして、半ば強引に見えた交渉哲学には「信義」があった。 「駆け引きはあかん。お互いが信義を示し、認めあうことができれば、後はどうにでもなる」 その「信義」とは「選手の将来を考える」という譲れぬ信念でもあった。だから、来た人も去った人も、今、永眠した星野氏へ感謝をこめて惜別の思いを語るのである。