星野仙一氏が語っていた金本阪神移籍秘話
結局、2002年オフ、星野阪神は、金本氏に加え、メジャーから伊良部秀輝氏を凱旋させ、後に“JFK”の一人になる左腕のジェフ・ウィリアムズを獲得、日ハムとの間で下柳剛氏、野口寿浩氏、中村豊氏対坪井智哉氏、山田勝彦氏、伊達昌司氏の大型トレードを成立させた。およそチームの3分の1となる26人もの人間を入れ替えたのだから、もはや別のチームに生まれ変わったと言ってよかった。 星野氏の思惑通り、金本氏はフルイニング試合出場を続け「何があってもゲームを休まない」という、その姿勢は阪神に蔓延していた「どこが痛い、あそこが痛い」ですぐにトレーナー室に駆け込むという“悪習”を撲滅した。試合後にバットスイングとフィジカルトレーニングを終えてから帰宅するという金本氏のライフスタイルを赤星憲広氏らの若手が見習うようになり、チームの空気は一変した。星野氏が、放り込んだ金本という“劇薬”がチームに見事な化学反応を起こしたのである。 この年、阪神は18年ぶりにリーグ優勝した。 昨年12月に大阪で行われた「殿堂入りを祝う会」で星野氏は、「生きているうちに阪神と楽天の日本シリーズを見たい」と言った。監督就任と同時に“超改革”を掲げて3年目に突入する金本監督の胸の内には、星野氏が行ったチーム改革がイメージとしてあるのだろう。 星野氏への追悼コメントを残すために球団事務所を訪れた金本監督は、2003年に甲子園で胴上げされている星野氏の写真パネルを長い時間、ずっと見つめていたという。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)