地方移住で「年収100万の豊かな生活」を手に入れたのに…30代女性が地方暮らしをやめた“残念すぎる事情”は
新規事業のため無給で働き、1年ほどで辞めた
31歳の頃、以前から興味があった地方移住を叶えるため、観光地のホテルでリゾートバイトを始めます。バイト仲間は幅広い年代の人たちがいました。そこで気になる人ができたこともあったけれど、数カ月滞在して他に移るという生活の中で、付き合うという選択は考えられませんでした。 しばらくして、東京の知人からある介護施設の新規事業立ち上げで人手を探しているから働かないかと声を掛けられました。そこを手伝うことにしたのですが、参加して初めて、現場経験の乏しい人物が代表で、行政の認可取得に難航していた事を知ります。 人がどんどん辞め、由美さんはコールセンターのバイトなどを掛け持ちしながら無給で働きましたが1年ほどで辞めました。結局、その事業は立ち上がらなかったとか。
地方移住して手にした「年収100万円の豊かな生活」
東京にいると選択肢が多く、消耗した由美さんは、また地方の観光地のホテルで働き始めました。移住給付金で家賃補助制度があり、新築アパートに自己負担月1万円程度で暮らしていたそうです。 まもなくホテルを退職し、その地域の福祉施設で週3のパートで働き始めました。 「東京と違って着飾る必要もなく楽でした。同僚からピクニックに誘われて出かけたり、私が料理教室を開催したこともありました。繋がりが強い環境が居心地よかった」 当時の年収は100万円前後なのに、とても満ち足りた生活だったと語る由美さん。 ところが、その“繋がりが強い社会”の「裏」を知ってしまうことになります。
地方で暮らすのを断念した「事情」
のんびりした理想の暮らしを満喫したので、そろそろちゃんとしようと思って勤務先で正社員に昇格。年収は216万円で、移住給付金の受給期間も過ぎました。手取りは20万円未満なのに残業している人は多く、年間休日も少なくて、割に合わないと感じた由美さんは東京に戻り福祉施設に就職します。彼女のいた“繋がりが強い環境”では、仲の良さに甘えた無償の残業=タダ働きが横行していたのです。 由美さんのいろんな選択肢の中で、地方でずっと暮らすという未来が消えました。かといって東京は人との繋がりが乏しい。東京で福祉業界で働きながら生きていくのならば、「家族」という居場所が欲しいと感じるようになっていきます。 そして36歳の頃、マッチングアプリに登録しました。知らない男性から「いいね」が殺到しましたが、何の決め手もない中から選ぶのは無理だと感じてすぐに退会します。 婚活についても調べ、事前にメッセージのやり取りがなく会える結婚相談所の方が向いていると感じました。その中で、リーズナブルな「エン婚活エージェント」を選びます。婚活では外見が重要ということも知りメイクレッスンを受け、服はエアークローゼット(プロが選んでくれるファッションレンタルのサブスク)に登録して婚活服を借りることにしました。同僚にも婚活中であることをオープンにしていたそうです。