約束を破る中国と絶望の中の香港…オードリー・タンが香港に「恩返し」したいと語るワケ
コロナ禍において国民全員にマスクを配布するシステムをわずか3日で構築し、世界のグローバル思想家100人にも選出された若き天才オードリー・タン。自身もトランスジェンダーであるタン氏が、日本の若者に向けて格差やジェンダー、労働の問題からの「解放」をわかりやすく語る『自由への手紙』(オードリー・タン著)より抜粋してお届けする。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 『自由への手紙』連載第27回 『「世界の頭脳100人」に選ばれた台湾の天才が語った…人々が“協働”する社会の実現のために指導者に求められる役割とは? 』より続く
支配から自由になる
自由について、今、懸念が高まっているのは香港でしょう。 台湾は、人道支援がオンラインで行えないときのために開設した香港事務所をもっていて、この事務所経由で、安全な居場所を必要とする香港市民に対してできることすべてをやっています。 たとえば、自分の考えを自由に発表できる場だったり、独立系書店の運営だったり。 また、アメリカの人権団体HRFが主催する「オスロ自由フォーラム(OFF・Oslo Freedom Forum)」は、人権団体、反体制派、IT企業の経営者などが参加する集まりで、2009年からずっと、その名の通りノルウェーのオスロで行われていました。 2018年8月、台北がその開催地となったのは、台湾が権威主義と逆の立場だというあらわれであり、香港市民のためのものでもあります。 さらに「国境なき記者団」台湾オフィスも、香港市民がいかなる反動も恐れることなく、真の関心事や自身の考えを表明し、世界と手を携えつづけられるようにしています。
買い叩かれた一国二制度
香港のことを考えるときに、今も思い出すのが、私が子ども時代を過ごした1980年代後半のことです。 戒厳令は解除されたばかり。当時の台湾に報道の自由はなく、あらゆることが遮断されていました。自国で起こっていることを正確に報じていたのは香港にたくさんいた国際ジャーナリストたちであり、台湾市民は彼らから情報を得ていました。 言ってみれば、今はあの頃の恩を返すときだと思っています。 1997年7月、香港の主権が英国から中華人民共和国へ返還された際、「今後50年、何も変わらない」という約束がありました。 そして生まれたのがいわゆる「一国二制度」であり、これは香港プロトタイプ、つまり香港ならではの発想と試みだったと思います。しかし結局この方式も、当初の構想どおりにはなりませんでした。 今、香港市民の目に映っているのは、最初の約束が思いきり買い叩かれているような光景です。中国の言動が香港市民に警戒感を抱かせる要因はここにある、と私は考えています。 実態は「一国二制度」ではなく中国が主体となった「一国一制度」であり、それが端的に見られるのは司法制度でしょう。 香港返還に際して、「香港特別行政区には独立した司法権を認める」という約束がありました。そこでかつてあった最高法院は(日本の最高裁判所に相当)、香港終審法院(court of final appeal)と名を変えましたが、実際の司法機関としての扱いは、名前ばかりか機能までも変わってしまい、司法の独立が危ぶまれています。 「最初の約束がいかに最善を意図したものであれ、肝心のその約束が守られていないじゃないか」というわけです。