亡き師の生涯を映像に 映画評論家・佐藤忠男さんのドキュメンタリー製作 アジア映画の魅力発掘
日本を代表する映画評論家で、日本映画大学(川崎市麻生区)名誉学長の佐藤忠男さん=享年91=のドキュメンタリー映画を製作するため、教え子が奔走している。外国映画といえば欧米が主流だった時代にアジア映画を発掘し、その魅力を広く紹介した恩師の人生を描く内容で、30日まで製作費の一部をクラウドファンディング(CF)で募っている。監督の寺崎みずほさん(39)は「映画を求めてアジアを巡り、友情を結んだ佐藤さんの生涯を知ってほしい」と呼びかけている。 【写真で見る】佐藤さんの著書を前に、思い出を語る教え子の寺崎さんら 佐藤さんは新潟市出身。映画や大衆芸能、演劇など幅広い分野で評論活動を行い、多くの著書を残した。全4巻に及ぶ「日本映画史」で芸術選奨文部大臣賞などを受賞。1996年には日本映画大学の前身・日本映画学校の校長に就任し、後進の育成にも尽力した。2010年に神奈川文化賞を受賞している。 川崎市麻生区出身の寺崎さんは大学卒業後、映画製作を夢見て日本映画学校に入学。佐藤さんが受け持つ「日本映画史」「映画史概論」を受講し、「映画は(作品が)答えを出さず、観客が考える。人生を考えるきっかけをくれる」と教わった。寡黙な佐藤さんに対し、当時は近寄りがたい印象を持っていたという。 ■恩師の人生をたどる旅へ 同校を卒業後、映像制作会社「グループ現代」(東京都新宿区)に入社した寺崎さんが、佐藤さんのドキュメンタリー映画を撮影し始めたのは19年。きっかけは、佐藤さんが執筆していたアジア映画の探訪記だ。 「頼まれた仕事ではないが、残しておきたいから」と言いながら、アジア各国で発掘した映画や出会った映画人を書き残そうとしていた。寺崎さんは「そのハングリー精神に引かれ、これまでの足跡を知りたいと思った」と回顧する。 生まれ育った新潟、多くの時間を過ごした神奈川、映画を探して回ったインドや韓国…。取材を重ね、恩師の人生をたどった。映画の編集に携わるインドの女性は「佐藤さんの論文で日本映画を学んだ」と感謝し、インドの映画監督は「佐藤さんはいつもニコニコしていて、冗談もよく言った」と知られざる一面を教えてくれた。佐藤さん夫婦の支援を受けたという韓国の映画監督は「佐藤さんの記録映画なら」と二つ返事で協力してくれた。 「映画を愛し、作品を広めることに一生懸命だった佐藤さんの熱意が、多くの人に波及していたことが分かった」と寺崎さん。亡くなる前、佐藤さんが「映画とは世界を見ること。その国の人の考えを知り、戦争や憎しみにつながらなければ良い。世界のどこにも愛すべき人間はいる」と語った意味も、取材を通して理解できた。 ■製作費の一部はCFで 約5年かけて撮影したドキュメンタリー映画は今、仕上げの作業中。来年1月に完成し、来秋に都内や川崎市内などで上映する予定だ。製作費と配給の経費約1200万円のうち、不足する約120万円をCFで募っている。 寺崎さんは「好きな映画を求め、多くの国を旅した佐藤さんのように、見た人が『自分も一歩踏み出して、好きなことに挑戦してみよう』と思えるような作品にしたい」と意気込んでいる。 CFは30日午後11時59分まで。自主上映権など特典を用意している。CFのサイトは「モーションギャラリー 佐藤忠男」で検索。問い合わせは、グループ現代電話03(3341)2863。
神奈川新聞社