「兄の同居は認められない」警鐘を鳴らした児相のジレンマ 子どもの声をどうすくい上げるのか【大津女児虐待死事件(下)】
そんな少年が一つだけ言いよどんだ場面があった。検察官の「お母さんに対する今の感情は?」という質問に、彼はしばらく沈黙した後、「感情…感情…。感じてることっていうと、難しいけど」と口を開き、亡くなった妹の名前を出して、こう語った。 「一番は『ごめん』っていう気持ちしかないですね。僕が実愛(みあい)を亡くしてしまったから」 ▽大阪市が兄の合流を懸念した理由 亡くなった清水実愛ちゃんは、2014年8月に母親の第3子として生まれ、生後7~8カ月で大阪市内の乳児院に一時保護された。当時、母親は定職を持っておらず、経済的に不安定だったため、大阪市の児相は「養育困難」と判断。実愛ちゃんはその後、約6年間を乳児院や児童養護施設で過ごすことになった。 ちなみに、母親には既に元夫との間に生まれた長男(兄)と次男がいたが、息子2人は京都府内の児童養護施設や親戚宅、里親家庭などを転々としていた。後に養父となる別の男性との間には、末子の三男も生まれたが、実愛ちゃんは2021年春に母親に引き取られるまで、この異父兄弟たちと一緒に暮らしたことはなかった。
そんな彼女の家庭引き取りはどのようにして決まったのか。当時、実愛ちゃんの援助業務を所管していた「大阪市中央こども相談センター(児相)」の音田晃一所長は、「個別事案についてはお答えできない」としながら、滋賀県が公表した報告書を補足する形で、引き取りに至る過程の一端を明かした。 報告書でも明記されているが、実愛ちゃんを引き取りたいと強く要望したのは母親だった。大阪市児相はその意向を受け、引き取りの1年以上前から支援計画を立て、面会や、日帰りの「外出」、短期間の「外泊」といった段階的交流を重ねた。 引き取りの時期は、実愛ちゃんの小学校入学に合わせて2021年春を予定していた。だが、直前になって「京都の里親家庭で暮らしていた兄が、その家庭を出ることになった」という情報が入る。この時、大阪市児相は母親に対し「もし兄が同居するなら、実愛ちゃんの引き取りは認められない」と警告した。 なぜ兄との同居を懸念したのか。音田所長は「あくまで一般論」と前置きしつつ、次のように語った。「家庭引き取りに向けた支援計画というのは、その時の家族の顔ぶれを前提に考えるもの。家族構成が変われば、想定していなかった変化が起きる可能性がある。そのため、本当に引き取り可能なのかどうか、児相には慎重な判断が求められる」