イランの若者が「対イスラエル戦争」を熱望する、屈折した理由
● イスラエルのポケベル攻撃、指導者の殺害 ~イランのミサイル攻撃が始まった 同じ頃、イスラエルのネタニヤフ首相は、ガザ侵攻の余勢を駆り、もはや怖いものなしと言わんばかりにレバノンのイスラム組織ヒズボラへの攻撃を強めていた。イスラエルは9月17日から翌日にかけてポケベル爆発により多数のヒズボラ要員を、同月27日にはついにイランの盟友であったヒズボラ指導者ナスララ氏を殺害する。これを受けて、ガザやレバノンではイランに対する不満が噴出した。 「ハニヤ殺害後、イランが間髪入れず報復に踏み切っていれば、ナスララは殺されずに済んだ。イランはこの正念場でわれわれを見捨てるつもりか」 一方、イラン国内の保守強硬派も、国家の威信をかけて速やかにイスラエルを攻撃すべしと政府を突き上げた。 もはや進むも地獄、退くも地獄となった10月1日、ついにイランは2カ月におよぶ沈黙を破り、イスラエルに向けて200発近い弾道ミサイルを撃ち込む。ミサイルは、盤石と思われていたイスラエルの空の守り「アイアン・ドーム」をやすやすと突破し、同国の軍事・諜報拠点めがけて雨あられのごとく降り注いだ。 イランの底力を見せつけるような前例のない大規模攻撃に、ガザやレバノンの人々は歓喜に沸いた。イラン側もこれに気をよくしたのか、直後にはテヘラン中心部の革命広場に「われらこそ戦(いくさ)の師なり」と記された巨大なプロパガンダ広告がお目見えした。 イラン国民は日頃から、体制の誇大妄想的なプロパガンダにうんざりしていたが、「戦の師なり」はさすがに自己陶酔が過ぎると思われたのか、SNS上で失笑を買っていた。 ● イランはイスラエルと戦うべきか? 主戦論と非戦論に国内世論が二極化 この大規模攻撃の結果、国内では世論の二極化が進むことになった。 勇ましいアジテーションを好む狂信的イスラム法学者や、これに心酔する比較的低学歴・低収入の労働者たちは今、体制イデオロギーをそのままなぞるように「打倒イスラエル」を叫んでいる。彼らとは別に、10代・20代の若者たちの多くも、イスラエルとの開戦を熱望している。イスラムにもパレスチナにも特別な思い入れのないこの世代が戦争を望むのは、イスラエルや米国が武力でイランを「解放」してくれることを夢見ているからにほかならない。 このように、最も体制寄りの一派と、最も反体制的な一派が共に主戦論を形成するという呉越同舟状態が生まれているのはきわめて興味深い。 他方、現体制とのコネで成功を収めた富裕層や、平穏な日常を壊されたくない現役世代の大半、そしてイラン・イラク戦争の悲惨さを知る高齢者などは、全面戦争に反対である。富裕層は、イスラムと反米を掲げる現体制に依存しているため、表向きは主戦派を装っているが、本心では体制崩壊につながりかねない戦争を最も恐れている。現役世代や高齢者(すなわち国民の大部分)も、たとえ現体制に不満を募らせていようと、戦争はそれよりも悪いものと考えている。すなわち、体制派と反体制派の呉越同舟は、非戦論のなかでも見られるのである。 ある会社員の友人は言う。 「イスラエルに撃ち込まれた200発のミサイルは、僕らの払ってきた税金で作られたものだ。それだけの金があるなら、困窮する国民のために使ってほしい」 慈善団体で活動する別の友人も、憤りを隠さない。 「イランにはインフレのため薬も買えず、医者にもかかれない人が大勢いる。万が一、全面戦争になれば経済は完全に破綻し、イラン人は食べ物にすらありつけなくなってしまう」