アフリカから略奪されたベニン・ブロンズ。アート返還運動と国際政治の関係とは?
世界のビジネスパーソンにとって、アートは共通の必須教養! 世界97カ国で経験を積んだ元外交官の山中俊之さんが、アートへの向き合い方を解説する『「アート」を知ると「世界」が読める』より、一部を抜粋してお届けします。
人もアートも奪われたアフリカの“反撃”
アフリカ大陸の南北は8000キロ、東西は7400キロ。東京とロンドンの距離が約9500キロですから、アフリカの南北の距離は日本から東ヨーロッパくらいの距離になります。 アフリカに足を運ぶたびに私が感じるのは、その壮大さ。アフリカ大陸は実に広いのです。 アフリカの大きさが日本人にあまりピンとこないのは、赤道近くが小さく描かれる世界地図が多いこともその一因でしょう。アフリカは国家というより多くの民族がいた多民族社会だったこともあり、広大なアフリカ大陸の文化は当然ながら多様です。また、エジプト、モロッコなどの北部はアラブ・イスラム文化で、民族的にはアラブ人が主体です。いわゆる「アフリカ」と一般に考えられているのは、サハラ砂漠以南に広がるサブサハラと言われる地域です。 アフリカのアートを知るうえで忘れてはならないのが、長く続いた奴隷制度。主として西アフリカから、若い労働力が極めて残酷な形で奪われました。 「おたくの国の人を、うちの国の労働力として輸入したいんだけど」という欧米の白人と、「はいはい、いくらで何人出荷しましょうか?」という現地の黒人支配者層の間で、1500万人とも言われる人たちが品物のように取引されました。 人材の略奪に他ならない奴隷制度は、今日のブラック・ライブズ・マターにつながる問題ですし、アフリカ人の心に大きなトラウマを残しました。 さらにアフリカは前述のとおり、植民地時代や戦争の際には、アートそのものが大量に略奪され、ヨーロッパに持ち去られました。 その象徴と言われるのが「ベニン・ブロンズ」。その名のとおりブロンズ像が主ですが、象牙の彫刻や仮面なども含まれ、今のナイジェリアにかつて存在したベニン王国の美術品の総称です。ベニン・ブロンズの中でも特に貴重とされるものは、新たな王が即位するごとに権威の象徴と系譜を兼ねて、代々つくられていたブロンズ像。精緻なのに大胆なアートは、思わず見入ってしまうほどです。 ところが、それを鑑賞できる場所は、ナイジェリアではなく欧米でした。19世紀末にイギリスが侵略して王国は滅亡、植民地化される際にめぼしいアートは根こそぎ奪われた──それらは売買され、ヨーロッパ各国やアメリカのコレクターや美術館の所蔵品となったのです。 ベニン・ブロンズはイギリスを中心にドイツ、スイス、フランスなどに存在し、ナイジェリア政府は1930年代に返還を要求。戦後、略奪アートは欧米でもたびたび問題視されてきましたが、議論は進みませんでした。転機が訪れたのは、最近の話です。