引退した野球選手の必須スキルは「学歴」でも「資格」でもない…甲子園連覇の「大阪桐蔭主将」が選んだ"意外な道"
野球選手は引退後、どんな仕事をしているのか。大阪桐蔭主将として甲子園春夏連覇を達成し、亜細亜大でも日本一に輝いた水本弦さんは、東邦ガスで野球を5年続けた後に退職した。引退後はそのまま安定企業に残ることもできたのに、なぜそうしなかったのか。スポーツライターの内田勝治さんが聞いた――。 甲子園を沸かせた大阪桐蔭主将・水本さんの豪快なスイングはこちら ■「3期目は年商1億円はいきたい」 高校、大学で日本一を経験するなど、誰もがうらやむ球歴を辿ってきた。野球を武器に、有名企業へ入社することもできた。ただ、安定した道を捨て、独立の決断を下したことに後悔はない。 2021年。水本弦(げん)さんは、東邦ガス(愛知県名古屋市)で社会人野球を引退した。2022年から社業に専念し、2023年5月に退社。その後、愛知県名古屋市で設立した「Ring Match(リングマッチ)」は、今期で2期目に突入し、売り上げも順調に伸びている。 「今は小学1年生から中学3年生までを対象とした野球塾をやりながら、僕がプロデュースする練習用バットの開発、販売、あとは野球経験者に特化した人材紹介を行っています。月の売り上げは野球塾と人材紹介、バットの販売を入れて数百万円です。3期目はマストで年商1億円はいきたいですね」 石川県出身。5歳年上の兄の影響もあり、小2から野球を始めた。 「兄が所属している少年野球の応援に家族で行っていて、僕自身もそのグラウンドによく行っていました。父も野球をやっていたので、僕も自然と野球を始める流れになったかなと思います」 ■珍しい“両投げ”が思わぬ進路をたぐり寄せた 物心ついた時から左投げだった。ただ、野球のダイヤモンドは左回りで、一塁に投げる機会が多いスポーツ。上のレベルになればなるほど、左投げのポジションは投手、一塁手、外野手に限られる。遊撃手を重要視する父・太さんの勧めもあり、小3から右投げにも挑戦した。 「最初は右で投げることにすごく違和感がありました。指導者や他のコーチには反対されていて、3年生の頃は全体練習に入れてもらえず、僕だけずっと壁当てをやって練習が終わる時もありました。5年生ぐらいになると、試合にも出られるレベルになって、左でピッチャー、右でショートをやっていました」 投手、遊撃手という要のポジションで両投げをこなすのは、小学レベルといえども簡単なことではない。水本さんの旺盛なチャレンジ精神は、この頃から土台が築かれていった。 中学は硬式野球の白山能美ボーイズに1期生として所属。そこでも両投げを継続していたことが、思わぬ進路をたぐり寄せた。