「バスケットで生きて行くしかねぇ」腹をくくった20歳、名古屋D・加藤嵩都、1年間…”死ぬ気”で取り組んだトレーニングがプロへの道を切り開いた
◇記者コラム「Free Talking」 一つの成功体験が原動力となり、新たな成功体験を生む。プロバスケットボールB1の名古屋ダイヤモンドドルフィンズ(名古屋D)の加藤嵩都(24)の歩みは、そんなことを教えてくれているような気がする。 高校入学時で151センチ、49キロ。「高3で確か167センチで体重も60キロないくらい」だったという。全国大会とは無縁だった無名の高校生は当時関東3部の明星大バスケ部へ。しかし、2年まではいわゆるBチームで「バスケットもあまりやっていなくて…」。ここまでは日本にあまたいる体育会の学生の1人に過ぎなかった。 変化のきっかけは20歳の頃。自分はどうなりたいのか、真剣に将来と向き合った。スーツを着て働いている姿は想像できなかった。「バスケットで生きて行くしかねぇな」。一念発起して、最初に取り組んだのが肉体強化だった。まずはプロになるための土台となる体をつくるためにウエートトレーニングを始めた。 仲の良いチームメートと2人で試行錯誤しながらひたすら毎日メニューを考えた。「とにかくめちゃくちゃやりました」。大学時代まで続いた成長期とも相まって、1年続けると体が変わった。太ももは丸太のように発達し、副産物としてついたスピードは一番の武器になった。「人は1年間本気でやったら何にでもなれる」。目に見える「速さ」という収穫以上に、そんな自分なりの境地に行き着いたことが大きかった。 4年ではエースと呼ばれるまでに成長。卒業時には身長178センチ、体重も70キロを超えて、プロへの道も開けた。1年間、全身全霊でウエートトレーニングに取り組んだ体験が血肉となり、プロでも「自分はやれる」と信じることができた。プロキャリアをスタートさせたB3のさいたまでは1年目でチームの日本人得点王。翌シーズン加入したB2の福島でも日本人選手としてチーム最多得点を挙げて、今季トップリーグのB1デビューを果たした。毎年結果を出し、1年ごとにカテゴリーを上げて。 名前にある「嵩」には「高い所」や「山の高い様子」などの意味があり、両親が「登りつめる人になってほしい」との思いを込めて付けてくれたという。大学では名もなき無名の存在からエースへ、プロではB3からB1へ。はい上がることを運命づけられたポイントガードは、どこまでも高みを目指す。(バスケットボール担当・唐沢裕亮)
中日スポーツ