「このまま死ぬんだろうと・・・」幹線道路が土石流の ”通り道” に 流されても車から脱出できず 西日本豪雨6年 あのとき何が起きたか ドライブレコーダーの映像から
その後、少しずつ車を動かしつつ、引き返す機会をうかがう桐山さんでしたが・・・。 ■流れてきた“大きな冷蔵庫” ほとんどタイヤのグリップも効かず・・・ ・7月6日午後7時44分 桐山さんの車にぶつかったのは、大きな冷蔵庫のようなボックスでした。その後、なんとか車の向きを変えて坂道を下っていった桐山さん。なんとか難を逃れました。 桐山さん 「もう流されるようにハンドルを右に切って、ほとんどタイヤのグリップがしていない状態で、もうこれは最後ダメかなと思って、かろうじて対処できました。」 ただ、6日の夜、この県道では、多くの車が濁流に巻き込まれていました。中には流されても車から脱出できない人もいました。 車ごと流された人は 「私の前にいた車も何台も流されるのを見たし、目の前も何も見えないし、最後は車が浮いて流され引っかかって停まったが、水はばぁっと来るし、反対側は川だし、子どももいるし、このまま死ぬんだろうなと思った」 【画像で確認】道路は “土石流の通り道に”ドライブレコーダーの記録&車が転落…川の護岸が削られ“道路崩落”の危険 ■道路をずっと流れ続けた土石流 多くの利用者が甚大な被害受ける 今回は、道路沿いで発生した複数の土石流が道路を通り道として流れ下ったことで広範囲に被害が拡大しました。この結果に専門家も大きな衝撃を受けています。 広島大学 土田孝 教授(地盤工学)(当時) 「今回は土石流が道路の横から流れ出て道をふさいだという災害ではなくて、土石流が大量の水と土だったり流木だったりが道路の中に流れ込んで、道路を流路としてずっと流れ続けた。それによって道路の利用者が甚大な被害を受けたという、これまでにない災害」 当時を振り返って桐山さんは次のように話します。 桐山さん 「けっこうな雨は降っていたけど、これくらいないら大丈夫という気持ちで走っていましたが、実際、特別警報とか出ていたので、我が身のこととして受け止めてほしいし、私は助かった方でよかったと思う。」