70年代半ばの歌舞伎町で生まれた「タモリ」の特異な司会とは? 「笑っていいとも!」を深掘り(レビュー)
「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)の開始は1982年秋。2014年3月の終了まで約32年間、全8054回が放送された。 一本の番組を深掘りすることで時代と社会を読み解いていく。太田省一『「笑っていいとも!」とその時代』は、社会学者の著者による意欲的な試みだ。この番組は戦後日本、特に「戦後民主主義が持つ可能性」を最も具現していたのではないか。本書はそんな仮説から出発している。 著者はいくつかの注目ポイントを挙げる。まず、「仕切らない司会者」という特異な存在だったタモリだ。番組を切り回すことはせず、その場の雰囲気を自身も楽しもうとする。仕切ることを避けながら、「楽しくなければ」と連呼する80年代のテレビや時代との距離を保っていたというのだ。 次が、「テレフォンショッキング」のコーナーが象徴する「広場性」だ。ジャンルを超えたレギュラー出演者の組み合わせがテレビ的「つながり」を増幅し、様々な素人参加企画も番組の間口を広げていった。 さらに著者は、番組の拠点であるスタジオアルタがあった新宿という「場」に目を向ける。60年代にカウンターカルチャーの聖地だった新宿。70年代半ば、歌舞伎町の飲み屋で生まれたのが「タモリ」だ。演者と観客が渾然一体となった空間で、独自の密室芸を進化させる。そして80年代、不穏な黒メガネの男は、新宿に通勤する「仕切らない司会者」となった。 [レビュアー]碓井広義(メディア文化評論家) 1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年にわたりドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶應義塾大学助教授などを経て2020年3月まで上智大学文学部新聞学科教授。著書に「少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉」(新潮社)、「倉本聰の言葉―ドラマの中の名言」(同)、「ドラマへの遺言」(同)ほか。毎日新聞、北海道新聞、日刊ゲンダイなどで放送時評やコラムを連載中。[公式サイト]碓井広義ブログ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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