金子エミ「子宮がん発覚と同時に離婚」パーツモデルに復帰し再婚するも「離婚してほしい」と夫に切りだされた波乱の人生
パーツモデルとして活躍していた金子エミさん。ダウン症の長男を出産後に起きた波乱の半生をうかがいました。(全5回中の3回) 【画像】「53歳でこの美脚!引き締まった体でガードルのモデルも」現役・パーツモデルの金子エミさん(全27枚)
■子宮がん発覚をきっかけに離婚を決意 ── 出産後は、仕事も育児もご夫婦でいっしょにされていたのですよね。 金子さん:その生活は、海人が3歳のときに一変しました。私が30歳のとき、子宮がんが見つかったんです。私の母は29歳のときに子宮を摘出していて、「あなたも30歳になったら検査をしなさいね」と言われていました。ちょうど自治体から無料検診のお知らせが届いたのをきっかけに、検査を受けました。
検査は受けたものの、仕事と育児でバタバタしていて結果を聞きに行きそびれていたら、夫から職場に電話がかかってきたんです。「病院から、すぐに来るようにと電話があったよ」。そう言われてすぐに病院へ行って、精密検査を受けました。 結果は0期だったのですが、がんに進行する可能性が高いからと、切除することを勧められました。ただ、病変のある場所があまりよくなくて、そこを円錐切除すると「おそらく子どもができにくくなるでしょう」と説明を受けました。
私としては、いつか海人にきょうだいをつくってあげたいという思いがありました。じつはその頃、私は当時の夫と離婚しようと考えていたんです。夫と離婚するのに「もうひとり産みたい」と思っていたなんて、今考えると矛盾しているんですけど。 ── 離婚したいと思われたのはどうしてですか。 金子さん:その頃、夫は仕事を辞めて、私のネイルシールの仕事を手伝っていました。「命にかかわる病気かもしれない」と思ったとき、「海人と夫、ふたりは抱えていけない」と思ってしまったんです。海人を守っていくことだけで精一杯でした。
パーツモデルになりたいと思ったときもそうなんですけど、私は思い立ったら行動が早いタイプで、「もう無理!」と思ったらあと戻りできないんです。治療方針も決まらないうちに、離婚して海人と家を出てしまいました。 どうしても切除する決心がつかなかったので、病院を2回変えました。3軒目の病院で、「切除しないでレーザーで焼いてみましょう」と言ってくださる先生に出会えました。「半年後に検査をして、万が一ひっかかったら、そのときはあきらめて切除しましょう」と言われて覚悟を決め、レーザーで処置してもらうことにしました。
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