【ドリームランドモノレール】開業予定日もシャッターが…「夢の交通」が1年半で運行休止となった真相
◆重すぎて「無期運休」
当初からこのように、ずさんな運営がなされていたのだから、後から振り返れば開業後1年半で運休に追い込まれたのは、無理もないことだったのかもしれない。運休に至った直接の原因は、車両重量の過大であった。 営業開始後、ゴムタイヤがたびたびパンクしたため、車両を計量してみると、営業許可申請時に3両固定編成で重量30トンの予定だったものが、実際には45トン以上にもなっていた。また、軌道桁のコンクリートにヘアークラックと呼ばれるひび割れが生じているのも発見された。こうした状況を危険と判断した陸運局の勧告により「無期運休」となったのである。 東芝の言い分は、「最初、現在の路線の北側の平たん地を通る予定で設計したところ、その後コースが再三変って、千分の十(筆者注:100パーミルの誤り。1000m走るごとに100m上る)という急こう配を持つ路線になったため、車両の強度を高くする必要から、車体が予定より重いものになった」(1967年9月26日付朝日新聞)、「安全のため連結器はじめ各部品をがんじょうにした。いわばていねいに作りすぎた結果重すぎるものになってしまったわけで、それほど重くなるとは思わなかった」(同日付読売新聞)というもの。 100パーミルの難所に対応するため、当初の設計よりモーターを大型に交換したのも重量増加の要因だった。 ――編集部より―― 書籍『かながわ鉄道廃線紀行』では、より本質的な原因を突き詰めるために、筆者が他の資料を調べた結果や、長期化した裁判、1990年代になって持ち上がったリニアでの復活計画などについても語られています。また、ドリームランドモノレールの廃線跡を実際に歩き、当時の写真を見ながら、在りし日のドリームランドモノレールの姿を振り返っています。
▼森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載。
森川天喜