【ドリームランドモノレール】開業予定日もシャッターが…「夢の交通」が1年半で運行休止となった真相
1966(昭和41)年5月に開通した、大船駅とドリームランド駅間を結んだドリームランドモノレール(運営:ドリーム交通)は、開業後、わずか1年半で運行休止となった超「短命」な路線だった。以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜著 2024年10月神奈川新聞社刊)の内容を一部抜粋し、ドリームランドモノレールとは、どのような乗り物だったのか、見ていくことにしよう。 【モノクロ写真】横浜ドリームランドの入口付近。写真中央やや下をモノレールの軌道が横切っている
◆丘陵地帯にモノレールが建設された理由
同路線は、開業からわずか1年半後の1967(昭和42)年9月に運行休止となり、その後、復活することはなかった。 もし、もう少し長く存続していたならば、1970(昭和45)年3月に湘南モノレール(大船―湘南江の島間)が開通し、大船駅は運営会社も形式も異なる2つのモノレールを乗り換えられるモノレールの「聖地」になっていたのに……。多くの鉄道ファン、モノレールファンが、そんな“夢”を持っているようである。 そもそもこの地になぜ、モノレールが敷設されたのだろうか。その理由として、「日本最大の遊園地」と称された横浜ドリームランド(横浜市戸塚区俣野町)が1964(昭和39)年8月にオープンしたものの、最寄りの国鉄(現・JR)大船駅から5km以上も離れており、アクセスの悪さがネックになっていたことが挙げられる。 バス、タクシーだけでは輸送力が限られ、途中で国道1号線をクロスしなければならず、渋滞も予想された。従って路上交通と分離した別な交通手段が必要だったわけだが、丘陵地帯が広がる鎌倉市北西部や横浜市戸塚区の南西部に、通常の鉄道を敷設するのは不可能に近かった。 そこで、簡易な構造物のみで建設でき、輸送力も比較的大きく、さらにゴムタイヤ採用により登坂力にも優れたモノレールが採用されることになったのである。 当時はモータリゼーションの進展により各地で交通渋滞が問題となる中、地下鉄よりも安価に建設できるモノレールが脚光を浴び始めていた時期であり、日本の各メーカーは海外のモノレール先進企業と技術提携することにより、モノレールの技術導入と開発を図ろうとしていた。 ドリームランドモノレール計画の入札には複数企業が手を挙げたが、採用されたのは東芝式だった。この東芝式はアルヴェーグ式(注:東京モノレールなどで採用された方式)をベースとしつつ、車体と台車を完全に分離したボギー連接台車構造にするなど、独自の改良を加えたものだった。東芝式が採用されたのは、先行開園した奈良ドリームランドのモノレールが好調だったからであろう。