【ドリームランドモノレール】開業予定日もシャッターが…「夢の交通」が1年半で運行休止となった真相
◆モノレールの建設過程
ドリームランドモノレールの建設は、東芝が車両と電気設備の設計・製造(車両のボディ部分は東急車輌が製造)、三井建設が軌道の設計・建設を担当し、総工費約25億円をかけて進められた。大船駅からドリームランド駅までの路線総延長は約5.3km、両端の駅のほぼ中間地点に、交換所(すれ違い場所)である小雀信号所と変電施設を設けた。 モノレールの建設過程に関しては、神奈川新聞が何度か記事にしている。まず、1966(昭和41)年1月26日付の記事が、モノレール計画の全容を分かりやすく書いている。 『大船駅~横浜ドリームランド五・三キロを結ぶモノレール建設工事は総工費二十五億円をかけて着々進んでいるが戸塚区原宿町一〇二〇さきの幅四十メートルの東海道をまたぐ路線架設工事が二十五日深夜から二十六日未明にかけて行われた。(中略) モノレール線建設は三十九年初めドリーム交通の手でドリームランド入園者と付近の住民の輸送を目的として計画された。将来はさらに小田急線長後駅まで三・六キロ延長する計画。 使われる電車は“馬乗り型”一編成三両で乗車定員は百二十五人、最高速度は六十キロで全線を十分間(筆者注:実際は8分)で走る。料金は片道おとな百七十円、こども九十円、往復おとな三百円、こども百五十円の予定。 この路線は山あり谷ありの急こうばい続き、起伏に富んだ半ばケーブルカーのようにながめよい乗り心地を楽しめることになるという。 単線路線のため小雀浄水場に上下線の待ち合わせ所ができ、将来はここに途中駅を作るという。』 続いて同年3月23日付で、モノレール建設計画がかなり強引に進められた様子を伝える記事が掲載されている。 『鎌倉市農業委員会の調査特別委員会は二十二日、モノレール建設中の戸塚区ドリーム交通会社・松尾国三社長に対し、再び工事の中止勧告をした。 理由は、鎌倉市関谷地区を走るモノレール建設工事にさいし、農地法を無視して許可前に工事を始め、工事中止の勧告を無視してどんどん工事を進めているというもの。(中略) 同委員会は『農地法を全く無視している大資本に対し徹底的に追及する。農地法は国法であり、国法を無視するやり方はけしからん』と憤慨している。(後略)』 こうした法律無視の姿勢が原因か、開業もすんなりとはいかなかった。 ドリームランドモノレール開業当日の様子を伝える書籍(『横浜の鉄道物語』長谷川弘和著)によると、開業予定日の朝、駅のシャッターは下りたままだった。駅員に理由を聞くと、「まだ認可されていない由で、認可があり次第開通する」との回答で、結局、初日にモノレールが走ったのは、わずか4時間くらいだったとのことである。