『べらぼう』横浜流星の蔦重に初回から痺れた! 現代人にも響く田沼意次の問いかけ
横浜流星が主演する2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』がついに始まった。最大9連休と言われた2025年のお正月休み。その最終日となる1月5日に放送された第1回「ありがた山の寒がらす」は、多くの人が仕事始めとなる前夜に、思わず「よしっ!」と気合が入るような回だった。横浜扮する蔦屋重三郎(蔦重)が、後の「江戸のメディア王」と呼ばれるようになる「目覚め」のときが描かれたのだ。 【写真】美しき花魁・花の井を演じる小芝風花 ときは江戸中期。武士が腰に刀を携えて町を闊歩していたとはいえ、すでに武力よりも資本が世の中を動かす時代になっていたという意味では、人々が暮らす感覚は現代ともそう遠くはないように感じた。 どうしたら生活はより良くなるのか。人びとが抱える苦悩はいつの時代も変わらないのかもしれない。しかし、そこからどう動くかどうかが、時を経ても語り継がれる存在になるかどうかの分かれ目。 蔦重は、時の老中・田沼意次(渡辺謙)まで直接訴えに行くのだ。一市民が、時の権力者にまでダイレクトに意見をするなんて、今の世の中でも多くの人が尻込みしそうなシチュエーション。ましてや、身分制度が厳しい江戸の時代に、これだけの勇気と度胸を持って行動することができる重三郎に初回から痺れた。 蔦重が暮らすのは、幕府公認の遊郭・吉原。しかし、日本を代表する遊郭であるはずの吉原は深刻な問題を抱えていた。世の中には気軽に利用できる非公認の風俗街がはびこり、高価でしきたりの多い吉原への敷居は高くなるばかり。その困窮っぷりは、どんなに厳しい生活であっても白いごはんは食べられると売られてきた女郎たちが食事にもありつけないほどだ。 思い詰めた女郎の中には、放火をする者まで出てくる。これは、1772年に起きた明和の大火で吉原が「仮宅」と呼ばれる臨時営業を行なった際、独自のルールや料金が下げられたことにより客が押し寄せたため。火をつければ、またあのように客足が戻って来るのではと考えてのことだった。 食べるものさえ困っていなければ命を落とすことのない病で、女郎たちは次々と死んでいく。そのなかには、蔦重をかわいがってくれた朝顔(愛希れいか)もいた。幼い頃に捨て子となった蔦重にとって、唯一愛情を賭けてくれた恩人のような存在だ。 体を張って稼ぐ女郎たちによって支えられている吉原。にも関わらず、女郎屋の主人たちは「次々に死んで入れ替わってくれたほうが客も喜ぶ」なんて人でなしな発言を繰りだし、女郎たちはぞんざいな扱いを受けるばかり。 このままでは女郎も減り、客足は更に遠のき、吉原は廃れる一方だ。そんな事態を変えるべく蔦重は、女郎屋の主人たちに掛け合い、さらに奉行所に向かい岡場所の取締りを行うようにと訴え、どうにか女郎たちの暮らしが改善されるようにと駆け回るのだ。