『べらぼう』横浜流星の蔦重に初回から痺れた! 現代人にも響く田沼意次の問いかけ
一体、この初回だけで蔦重はどれだけ殴られたのだろう。しかし、人はどれだけ強い拳よりも、たった一言で脳天を揺さぶられる瞬間がある。蔦重にとっては、意次の「では、人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか? お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」という言葉だった。その言葉を投げかけられた蔦重の、いや横浜流星のカッと見開いた瞳に、観ているこちらまでカッとまぶたが持ち上がるのを感じた。 上が変わらないから。誰も動いてくれないから。そう思っているうちは、きっと何も変わらないのだろう。まずは自分が変わらなければ、世の中だって変わらない。自分ができることで、今より少しでもいい明日を呼び寄せる。それが、今の時代に蔦屋重三郎が大河ドラマで描かれる理由のようにも思えた。 「お言葉、目が覚めるような思いがいたしやした! まこと、ありがた山の寒がらすにございます」 立ち去る意次の背中にむかって、感謝を述べた蔦重。その叫びが意次の耳に届いているのかどうかわからない。しかし、この2人の縁はここでは終わるまい。次に蔦重が意次と対面するときには、どのような状況になっているのか今から楽しみだ。 蔦重は、ここから吉原に人を呼び寄せる工夫をしていく。まず、目をつけたのが「吉原細見」と呼ばれる案内書。そして、今や世界中に知られる浮世絵をプロデュースし、喜多川歌麿や葛飾北斎ら有名絵師たちの才能を見出すという。 さらに、黄表紙の普及にも一役買う。黄表紙とは、絵をメインにして余白に文章を綴ったという絵物語……そう現代でいうマンガのようなメディアだ。どうしたら人が集まり、熱中するのか。その仕掛けを創り出すことは、どこか停滞感漂う令和の世の中にも必要とされていることでもあるといえる。 自分には今、何ができるのか。蔦重だって、もともとは何も持たない男だった。親はいない。金もない。目に見えて特別な力があったわけでもない。それでも自分が望む世界に少しでも近づけようと工夫を続けていったのだから。私たち1人ひとりにも、きっと明日を変える何かができるはず。 「お前は何かしているのか?」 蔦重を突き動かしたこの意次の声は、時代を超えて今を生きる私たちにも問いかけているように思う。仕事始めのタイミングに、この言葉のパンチはとても重い。
佐藤結衣