「玉袋筋太郎」芸名の由来は? 本人が明かす「師匠から『“シロマティ、蟻の門渡哲也、玉袋筋太郎”の3つが残っています』って言われて…」
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。7月22日(月)のお客様は、タレント・俳優の毒蝮三太夫さんと浅草キッド・玉袋筋太郎さん。ここでは“玉袋筋太郎”という芸名がついた経緯について振り返りました。
◆「玉袋筋太郎」芸名の由来は?
毒蝮:「玉袋筋太郎」っていうのは、ビートたけちゃんが(名付けた)? 玉袋:そうです。それまで(たけし軍団に)入門はしたんですけど、名前がないような状態だったんですよね。それで命名会というのがあって「じゃあ名前をつけてやる」って。 毒蝮:ビートたけしが大好きだったの? 玉袋:大好きですよ! 毒蝮:ということは、漫才が好きだったの? 玉袋:漫才も好きでしたし、やっぱり「オールナイトニッポン」っていうラジオ番組ですね。 毒蝮:たけちゃんの? 玉袋:はい。中学1年生のときに1回目から聴いて、売れていく瞬間をファンとして自分の成長とともにずっと見てきて。それで、(自分の住まいは)新宿だったんですけど、師匠は当時、四谷あたりで生活をしていたんですよ。 それで、ラジオを聴いていると、通っている店名をポロッと言ったりするんですよ。それで“あれ!? そのお店って四谷のあそこじゃねえか!?”って自分で調べて、そのお店に行って放送後に待っていたんです、夜中3時に。 毒蝮:出待ちだな。 玉袋:そうなんです。そうしたら本当に来て、そこの焼肉屋さんで(初めて会った)。そのときは高校卒業前で、卒業後の就職先も決まっていたんですけど、師匠から「どうすんだ?」って聞かれて、「就職します」ってある企業のことを伝えたら、「お前それ、就職じゃなくてバイトだな。じゃあ、高校を卒業したら俺のところ来いよ」と言っていただいて。それで、卒業して師匠のところに行ったんです。 毒蝮:弟子の何番目? 玉袋:僕で20何番目ぐらいじゃないですかね。 毒蝮:そんなにいたの(笑)!? 玉袋:いました。 毒蝮:一番弟子は? 玉袋:東さん(東国原英夫さん/当時は“そのまんま東”)です。 毒蝮:あぁ! 玉袋:それで、入門したけど名前がない状態が続いたときに「命名会をやるから」って言われて、一緒に入った若手を集めて、新宿のうなぎ屋で芸名を1人ずつ決めていったわけですよ。 それで、みんなポンポン名前が決まっていくなかで、僕だけ残っちゃったんです。そうしたら師匠から「『シロマティ』と『蟻の門渡哲也』と『玉袋筋太郎』の3つが残っています」って言われて。 毒蝮:シロマティって何?(元プロ野球選手の)クロマティから? 玉袋:そうです。 毒蝮:はぁ~、わかりやすいね(笑)。 玉袋:(笑)。それで「蟻の門渡哲也」っていうのも渡哲也さんがいる手前、「残った玉袋筋太郎をいただきます」と言って、名前をいただきました。 毒蝮:いただいたって(笑)。うれしかったのかよ? 玉袋:名前がない時代が続いていたので……僕はいただけてうれしかったですね。