家族の思い出の地・三宅島で青パパイヤ農家に「少しだけでも親孝行ができたんじゃないかな」
先日、スーパーの野菜売り場で「おや?」と目を引くものを見つけました。まるでラグビーボールのようなあの野菜。 それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
それは、「青パパイア」。熟したパパイアは黄色く柔らかくなり、果実として食べますが、未熟な「青パパイア」は、野菜として、様々な料理に使われています。 近では、関東近県でも露地栽培が行われ、秋から霜が降る12月頃まで出回っています。 この「青パパイア」が東京でも採れるんです。どこだと思いますか? 東京都三宅村。竹芝桟橋から東海汽船に乗って6時間半……、伊豆諸島の三宅島で、青パパイアが栽培されています。三宅島で「汐田ファーム」を営む塩田冬彦さんは54歳、中野区の出身です。 塩田さんは、子供の頃から人と話すのが苦手で、内向的な性格でした。中学に入ると勉強がよくできて、高校は都立西高校へ進学します。高校ではアメフト部に入り、スポーツに打ち込みますが、勉強を怠り、大学受験に失敗。予備校に通い勉強漬けの毎日に、心身のバランスを崩し、この世の不条理や無常について思い悩み、“出家”も考えたそうです。
心配した父親が、こう励ましてくれました。 「冬彦、悩んだところで何も始まらなんぞ。まずは大学に行ってみろ」 一浪の末、北海道大学に見事合格しますが、学内でも友人を作らず、孤独な日々が続きます。座禅を始めたのもこの頃です。 文学や哲学書を貪るように読み、「自分はどう生きるべきか?」そればかり考える日々が続きました。その後、法政大学大学院で英文学を学び、文芸評論家を目指すものの、これもなかなかうまくいきません。 そこで体力に自信があった塩田さんは、実家の内装業を手伝ったり、建築現場でアルバイトをしたり、体を使い汗を流す、その気持ちよさに触れ「ああ、俺は、頭でっかちになっていた!」と気づきます。
体を使う仕事が自分には向いている。そうだ、農業はどうだろうか? 都会の生活は自分には合わない。山の中で自給自足の農業をしてみたい、と自然農園を営む農家を訪ね、住み込みで農業のイロハを学んだ塩田さんは、子供の頃に家族でよく旅行した三宅島を移住先に決めます。これが「汐田ファーム」を始めるきっかけでした。 はじめは自然が大好きな父親の老後のために、別荘地を用意してあげたいと海を望む1000坪の原野を購入し、開墾を始めます。 資金が尽きると東京に戻って肉体労働をし、お金が貯まると三宅島に戻り、開墾を続ける……その繰り返しでした。 2000年(平成12年)、やっと三宅島に住めると思った矢先、三宅島が大噴火。全島避難を余儀なくされてしまいました。