家族の思い出の地・三宅島で青パパイヤ農家に「少しだけでも親孝行ができたんじゃないかな」
一旦、中野の実家に帰った塩田さんが、再び、三宅島に戻ったのは4年後のことでした。都会暮らしがいいと言う母親を兄と弟にまかせ、塩田さんは父親と共に、三宅島で「汐田ファーム」を始めます。 最初に育てたのは「アシタバ」でした。ところが、身長が182センチもある塩田さんは、腰をかがめる農作業で腰を痛めてしまい、やむなくアシタバ栽培は断念します。 次に育てたのが、棚に蔓が伸びる「パッションフルーツ」でしたが、無農薬のため、病害虫の被害が出て、思ったほど収入が得られません。作りやすくて、収入が得られる農作物はないものかと探していた塩田さんは、「パパイア」と出会います。 最初は果物として栽培を考えましたが、熟したパパイアは、実が傷みやすく商品になりにくい。しかし、「青パパイア」なら傷まずに出荷しやすい。刻んで豚肉やニンジンと一緒に炒めるとシャキシャキして、これが旨い! ビニールハウスで栽培するので、真夏以外は、ほぼ一年中収穫が可能で、次々と連続して実をつけます。ビニールハウスの天井を突き破るほど成長が早く、3メートルほどで伐採しますが、すぐに横から芽が出てきて、1年ほどで実が成るそうです。
「パパイアが大きく育ったとき、おやじが一番喜んでくれたんですよ。その父も、昨年5月、86歳で亡くなりました。がんを患いましてね、東京の病院で手術を受けたあと、亡くなる1ヶ月前に三宅島に戻り、静かに息を引き取りました。おやじには苦労ばかりかけましたが、 三宅島の暮らしは、少しだけでも親孝行ができたんじゃないかなと思っているんですよ」 詩集や句集も出されている塩田冬彦さん。最後に一句、ご紹介します。草むらに埋もれたカボチャを自分にみたて、思い悩んだ末の悟りの心境を詠みました。 『慈悲ゆえに 草に埋もるる 南瓜かな』