熊谷真実「64歳で初めて巡り合えた、3人目の夫は運命の人。妹・松田美由紀の後押しで、結婚披露パーティーを開催。ウェディングドレスを着て150人から祝福」
とはいえ、当時の私は離婚したばかり。狭い街ですし、二人でいるところを誰かに見られて誤解されるのも嫌だったので、「会う時は4人で」と決めていました。そんなある日、たまたま二人になるタイミングがあり、じっくりとお互いの話をする機会を得たのです。 話をするうちに、学生時代はバイクで日本全国を巡っていたり、仕事の合間にボランティア活動に打ち込んだり、時間ができるとパッと海外に飛んで行くなど、ものすごくアクティブな人であることがわかって。私もあちこち行くのが仕事みたいなものなので、まずそのへんのリズムが合うなあと感じました。 なかでも興味深かったのが、世界中の子どもたちが描いた絵を繋ぎ合わせて一枚の大きな絵を作る「世界一大きな絵2024」というプロジェクトへの参加です。 今年7月、完成した絵をオリンピック開催国のフランスで披露するイベントがあって、私も彼と一緒に行く予定なのですが、とにかくこういう社会貢献的な活動をいくつもしているのです。 一見、普通に見えるけど全然普通じゃない。私が知らない世界をたくさん知っていて尊敬できる彼に魅力を感じ、さほど時間がたたないうちに「この人とずっと一緒にいたい」と思うようになりました。 彼女いない歴8年とのことでしたが、「こんなに素敵な人がよくぞ残っていてくれた。私と出会うために独身でいてくれたんだわ!」と、運命に感謝しましたね。(笑)
◆ずっと誰かに愛されて生きていくんだろうな 世の中には、「もう結婚という形にとらわれなくてもいいのでは?」と考える人もいます。でも私は、「好きになったら結婚したいと思うよね?それなら事実婚より法律婚のほうが、日本の場合はできることが増えるし」と考えるタイプです。 何か特別な事情があるなら別ですが、そうでないなら形式に則ったほうがいい。彼も同じ考えだったため、ごく自然に結婚という流れになりました。 もともと私は、自分一人で生きていくというイメージがあまりなく、今も昔も「ずっと誰かに愛されて生きていくんだろうな」と思ってきた人間です。 それは離婚した時も同じで、「私が不幸せになるわけないじゃん。何か理由があってこうなったに違いないんだから!」と、一切マイナスに考えませんでした。 ただ、そんなふうに言えるのは子どもがいなかったせいもあると思います。もし以前の結婚で子どもがいたら、たぶん離婚はしなかった。 というのも、うちの両親はあまり仲が良くなかったんですね。父には複数の愛人がいて、母はつらい思いをしていました。でも母が我慢してくれたおかげで、私たち姉妹は路頭に迷わずに済んだのです。そういう経験があるだけに、子どもがいる場合の離婚は慎重にしないといけないという思いがありました。 今回の出会いも、子どもがいたらまた全然違ったものになったのではないかという気がします。 もうひとつ、「どうして離婚したのに浜松にいるの?」と尋ねてくる人がいたのも意外でした。確かに浜松は前の結婚を機に住み始めた場所ですが、今やたくさんの友人、知人がいますし、離婚の際に応援してくれたのも浜松の友人たちです。 もともと自然が豊かなところで生活したいと思っていたこともあり、端的に言えば東京に帰る理由がなくなってしまったんですね。シンプルに浜松が好きで、ここにいたいからいるだけ。 これからもずっと、大好きな浜松で暮らしていくつもりです。 (構成=上田恵子)
熊谷真実