「防衛装備移転三原則」見直し:装備品輸出を重要な安保外交ツールに転換
「規制」から「活用」へ転換
今回改正にあたり、与党WT提言の前文では、防衛装備品の海外への移転を、「望ましい安全保障環境の創出」と「国際法に違反する侵略や武力の行使又は武力による威嚇を受けている国への支援等」のための重要な政策手段と規定している。そしてこの表現は、改正三原則でも用いられている。 また、改正三原則と2014年の三原則を比較すると、防衛装備の海外移転の目的として「国際的な平和と安全の維持の一層積極的な推進」、「同盟国である米国及びそれ以外の諸国との安全保障・防衛分野における協力の強化に資する」、「我が国の防衛生産・技術基盤の維持・強化、ひいては我が国の防衛力の向上」の3点は同じだが、新三原則では新たに「地域における抑止力の向上」が加えられている。通常兵器関連の防衛装備移転がどのように抑止力の向上に貢献するかは必ずしも明確ではなく、その効果が発揮されるとすれば何段階かのプロセスを想定しなければならないが、政策目標の一つである「望ましい安全保障環境の創出」と併せて解釈するとすれば、日本は防衛装備移転を安全保障目的に活用するという方針を打ち出したと理解するのが自然である。
激変する安全保障環境に対応
2014年に防衛装備移転三原則が規定される以前から、日本は「平和国家としての基本理念及びこれまでの平和国家としての歩み」を堅持する方針を掲げており、今後新三原則で安全保障目的での防衛装備移転を政策的に活用する方針を打ち出したとしても、その抑制的な姿勢は基本的に維持されるだろう。実際に、防衛装備移転の緩和方針に転じたものと評価された14年の三原則規定以降も、政府と企業双方が防衛装備移転に対して積極的な姿勢に転じることはなく、実績としては日米間での部品の移転や共同開発と生産、そして一部の東南アジア諸国への非殺傷兵器の移転が実施されたのみとなった。 この事実は、日本の防衛装備移転政策が大胆に変化することを期待した多くの論者を当時失望させた。しかし、この10年ほどで環境は大きく変化し、ウクライナ戦争におけるウクライナ支援(移転を可能にするために、運用指針が改定された)、22年の国家防衛戦略の策定、そして国際的な防衛装備開発のトレンドの変化などにより、14年の三原則のままでは多くの面で日本の安全保障政策の推進に困難をきたすと認識されるようになっていった。 まず、ウクライナ支援をめぐる問題では、国際的な武器弾薬の支援体制の意義が改めて認識されることになった。戦時における武器弾薬の補給体制を確実にするためには、まず平時の貯蔵を増大させる方策がある。ただし、貯蔵量を増加させても、戦時に十分に供給可能かどうかは不明である。もし戦争等が発生せず、武器弾薬の消費がなければ、貯蔵されたものは最終的に使用されることなく破棄されることになる。次に、製造能力を維持し、有事に増産する方策も考えられる。この方策では、製造能力の維持にコストをかけることになるが、商業化された防衛産業が、採算性の低い製造能力を維持するインセンティブは低い。 したがって、ウクライナ支援の際に見られたように、必要時に武器弾薬を融通する国際的な体制を同盟国と有志国との間で構築し、コストを分散することが効率的と考えられるようになった。この方策では、本国で製造中止になった旧式の武器弾薬のライセンスを取得して製造し続けている国からの供給に依存することも含まれる。さらに、戦時の兵站(へいたん)体制の問題を考えると、武器弾薬が必要となる地域に向けて、その一番近い生産拠点から移転するというのも合理的になる。 新三原則決定後、まずパトリオットミサイルのライセンスバックが実施された背景には、インド太平洋地域の同盟国や友好国との共同作戦能力を強化する米陸軍や海兵隊の戦略の変化がある。この戦略は、相手側のミサイルの射程圏内で作戦を展開することが前提になるので、その展開する部隊に必要な防衛手段は、可能な限り域内で調達した方が作戦効率を高めることができる。そして、日米安保体制や、現在米国が進める太平洋抑止戦略のもとでは、地域の平和と安全を守るために行動する米軍を日本が支えるのは当然のこととなる。