「脳」で何かが起きている…「起きているのか、眠っているのか」をどう判断するのか
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】「脳がなくても眠る」って一体どういうこと!? 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
脳と睡眠
「起きているのか、眠っているのか」という内部的な自覚は、あくまでも私たちの主観だ。それを、客観的に知る術はあるだろうか。その変化が、体のどこで起こっているのかと考えてみると、おそらく「脳」で起きているに違いない。 起きているときと眠っているときでは、脳の活動が異なっているかもしれない。眠っているときには、脳の活動が停止しているのではないだろうか。脳の活動を計測すれば、眠っているのか、空寝をしているだけなのかを知ることができそうである。 その前に、まず脳とはいったいどのようなものだろうか? 一言で言い表すのはとても難しい。脳は、私たちの心が宿っている場所だと言う人がいるかもしれない。感覚情報を処理し、運動や行動、思考を司っている場所だと説明することもできる。 しかし、脳がどのような物体であるかを説明すると、それは豆腐のように軟らかい臓器である。脳はとても軽く、ヒトの場合でも、体重の約2パーセントを占めているに過ぎない。もしエイリアンが地球に来て、私たちの体を解剖したとしたら、こんなに軟弱で軽い臓器が、私たちの知性の源とは考えないだろう。 脳はとても大切な臓器であるから、頭蓋骨という骨によって覆われ、厳重に守られている。脳と頭蓋骨の間には何層かの膜があり、膜の間には脳脊髄液と呼ばれる液体が存在している。まるで、プラスチック容器に、豆腐が水と一緒に入れられているかのようだ。 豆腐のように軟らかいとはいっても、脳にはきちんとした構造があり、「大脳」や「小脳」、「脳幹」などに区別することができる。「大脳」は、感覚や記憶、思考をはじめとした高次な脳機能を司っている場所だ。右脳や左脳という言葉があるように、大脳は右大脳半球と左大脳半球に分けられる。「小脳」は、後頭部の下の方に位置していて、運動制御の中枢だ。「脳幹」は体温や呼吸の中枢が位置し、生命維持の司令塔である。 脳は、本物の豆腐とは違って、小さな細胞がたくさん集まってできている。ヒトの体を形作っているのは、40兆個にものぼる細胞たちだ。細胞は多くの場合、肉眼では見ることができない。私たちの体は、そんな小さな細胞の集合体なのである。ヒトの脳には1000億個以上の神経細胞が存在し、それ以外にも神経細胞のはたらきを助けるグリア細胞と呼ばれる細胞が、その10倍ほどある。 細胞という物体もまた、じつに不思議な存在だ。一つひとつが独立して、じつに繊細に機能する。とても小さな“精密機械”とでも表現できよう。細胞の表面には細胞膜と呼ばれる膜があり、細胞の中と外を隔てている。細胞の内外で、物質は自由に行き来することができない。 脳に存在する神経細胞は、「神経発火」と呼ばれる現象を起こす。細胞が電気を帯びて興奮することがあるのだ。神経細胞も他の細胞と同じように、細胞の内外が隔てられていて、細胞内の液と、細胞外の液の電解質は不均一になっている。 例えば、細胞外の液には、正の電荷をもつナトリウムイオン(Na+)が豊富に含まれているが、細胞内のナトリウムイオンの濃度は低く保たれている。一方、カリウムイオン(K+)の濃度は細胞外で低く、細胞内で高い。こうした不均一性によって、神経細胞は、ある一定の電位(静止膜電位と呼ばれる)に保たれている。しかし何かの拍子に、細胞外液に豊富に存在するナトリウムイオン(Na+)が細胞内へ流れ込むと、正の電荷が増えて、細胞内の電位が上昇し、細胞が興奮状態になる。この電位の上昇は非常に速く、ミリ秒(1秒の1000分の1)の単位で起こっている。そしてナトリウムイオン(Na+)と同じく、プラスの電荷をもつカリウムイオン(K+)が、細胞内から排出されることで、元の電位に戻る。神経細胞は、電気的なのである。 1000億個以上にものぼる神経細胞は、脳の中で複雑な配線構造をしている。一つの神経細胞の興奮が、接続している周りの神経細胞にも伝わるようになっていて、それはまるで、人と人が手をつなぎ合い、一人の興奮が手をつないでいる相手に伝わっていくようだ。脳の中では、一つひとつの神経細胞が計算素子のようにはたらいているのだ。 そんな脳の活動、すなわち電気的な活動は、起きているときと眠っているときで、どう違っているのだろう。1000億個以上の神経細胞の活動を、一つひとつ測るわけにもいかない。脳自体を傷つけずに計測することができればなおよいが、どうすればいいのだろうか? つづく「知っているようで知らない「眠っている脳と起きている脳」その「大きな違い」」では、100年ほど前に偉大な科学者が脳の電気活動を測定することに成功したものの信用されなかったこと、その後認められノーベル生理学・医学賞へもノミネートされたが……といった脳波をめぐる歴史を掘り下げる。
金谷 啓之