錦織圭「僕は何のために五輪に出るのか」 選手村での出来事が変えた五輪観 ポイントが付与されない大会に出る理由
4年に1度のスポーツの祭典に選手は競技人生を懸ける。その中、サッカーやテニスなど、五輪が最高峰ではない競技もある。パリ五輪に向けたウェブ連載「Messages for Paris」の第9回は、男子テニス元世界ランキング4位で、2008年北京大会から4大会連続五輪出場の錦織圭(34)=ユニクロ=。五輪への思いとモチベーションのはざまに悩んだ1人だ。五輪がすべてではない競技の五輪とは何か。錦織が戦うテニスを例に問いかけた。 2016年リオデジャネイロ五輪。錦織は銅メダルを獲得し、日本テニス界に1920年アントワープ五輪の熊谷一弥、柏尾誠一郎(ともに故人)以来、96年ぶりのメダルをもたらした。しかし、同五輪を前に、錦織は、なかなか盛り上がってこない五輪へのモチベーションで苦悩していたのだ。 国際オリンピック委員会(IOC)傘下にある国際テニス連盟(ITF)と、プロツアーを統括する男子プロテニス選手協会(ATP)との間で、リオ五輪前まで、世界ランキングのポイント付与を巡ってぎりぎりの折衝が続いていた。 五輪を開催する期間でも、プロツアーに休みはない。いくつかの大会が同時並行して開催されるが、その大会は選手を五輪に奪われてしまう。ATPは、ITFに、その間の大会やツアーに対する補償を求めていた。 しかし、交渉は決裂し、2004年アテネ五輪から2012年ロンドン五輪まで付与されてきた世界ランキングのポイントは、リオ五輪からなくなった。賞金も世界ランキングもない五輪は、何をモチベーションに戦えばいいのか。錦織だけではなく、プロのテニス選手にとって大きな課題だった。 錦織は、松江市立乃木小2年の時、自身の紹介文で夢を書いている。「テニスでオリンピックにでて金メダルをとるゆめ」(原文のまま)。成長しても代表戦は好きだった。 「小さい頃から五輪に出ることが漠然とした夢だった。だから、メダルはほしいと思っていた」。 テニスは、1988年ソウル五輪で、1924年パリ五輪以来、64年ぶりに正式競技へ復帰した。しかし、その64年間で、テニスはプロの個人競技として世界に根付いていた。ウィンブルドンなどの4大大会を頂点に年間を通じたプロツアーは、男女で約600億円がうごめく巨大市場を構築していた。 選手らの活動リズムや生活サイクルも、ツアーを中心に回っていく。そこに、4年に1度、五輪が入ることは、間違いなく違和感を生んだ。小2年でメダルを夢見、他国よりも五輪の付加価値が高い日本だが、それでも錦織もすっかりツアー生活に溶け込んでいた。 リオ五輪前、錦織は、マイケル・チャン・コーチに、苦しい胸の内をさらけ出した。「僕は何のために五輪に出るのか。トップ10にいるためにも、世界ランクが大事じゃないのだろうか」。素直な悩みをぶつけた。チャン・コーチは「五輪は特別。圭がそこにいるのは、私にも誇りで光栄なこと」と、勇気づけたという。 それでも、錦織の心は晴れなかった。「1、2回戦はモチベーションをどこに持って行けばいいか分からなかった」。その気持ちに変化が現れたのが、大会が始まって1週間ほど経過した3回戦当たりからだ。 同五輪で、錦織は選手村に滞在していた。選手村の食堂では、他競技の日本選手からひっきりなしにサインを求められた。2014年全米でアジア男子として初めて4大大会の決勝に進み、年間数十億円を稼ぐ錦織は、他競技の日本選手のあこがれでもあった。 すでに柔道、競泳、体操が日本に金メダルをもたらし、ほかにもメダルを獲得した選手の喜びを、錦織は目のあたりにしていた。その中に、自分にサインを求めてきた選手もいた。彼や彼女らは、4年に1回、メダルと名誉だけのために戦っていた。 3回戦を勝った時、他の日本選手から刺激を受けた錦織の気持ちは固まった。 「(世界ランキングに無関係だが)自分のためでなくてもいいんだと。自分が活躍することで、誰かが喜び、恩を返せるのなら、それだけでいいのかなと思えた。それがモチベーションとなった」。 その思いが、準々決勝で3本連続のマッチポイントを跳ね返す、伝説の大逆転劇を生み、3位決定戦では、2008年北京五輪金メダルのラファエル・ナダル(スペイン)を破る快挙につながった。「日本にいいニュースを届けたかった」。 賞金や世界ランキングのポイントがないのは、2021年東京五輪、そして迎えるパリ五輪も同様だ。しかし、「(リオ五輪で)モチベーションは高まった」と、東京五輪では、ツアーでほとんど戦わないダブルスにも出場。パリ五輪にも「出られるなら、普通に出たい」と意欲を見せる。 パリ五輪に出場すれば、初出場の北京五輪から5大会連続の代表だ。テニス競技の日本選手としては、杉山愛の4回を抜いて史上最多となる。「5回出たら、結構、すごいんじゃないかなと」。新たな五輪へのモチベーションが見つかったかもしれない。(吉松 忠弘) ◆錦織圭の五輪成績 ▼2008年北京五輪 シングルス1回戦敗退。男子ダブルス不出場。 ▼12年ロンドン五輪 シングルス5位入賞(ベスト8)。男子ダブルス1回戦。混合ダブルス不出場。 ▼16年リオデジャネイロ五輪 シングルス銅メダル。男子ダブルス、混合ダブルス不出場。 ▼21年東京五輪 シングルス5位入賞(ベスト8)。男子ダブルス5位入賞(ベスト8)。混合ダブルス不出場。
報知新聞社