俳優・柿澤勇人、強豪校でサッカー漬けだった学生時代…“課外授業”が人生の転機に。劇団四季入団当初は「一番下手くそだった」
※柿澤勇人プロフィル 1987年10月12日生まれ。神奈川県出身。2007年、劇団四季の研究所に入所。同年、『ジーザス・クライスト=スーパースター』でデビュー。2009年、劇団四季を退団。退団後は、舞台『デスノート THE MUSICAL』、『メリー・ポピンズ』、『ジキル&ハイド』、『スクールオブロック』など多数出演。また、ドラマでも『真犯人フラグ』(日本テレビ系)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)、『不適切にもほどがある!』(TBS系)などの話題作に出演。2024年には第31回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。2024年5月7日(火)からタイトルロールを務める舞台『ハムレット』(彩の国さいたま芸術劇場大ホール)が上演される。
劇団四季の研究生になり舞台デビュー
柿澤さんは、劇団四季のオーディションに合格したその年に『ジーザス・クライスト=スーパースター』でデビュー。2008年には『人間になりたがった猫』で初主演することに。 「劇団四季の演出家の浅利慶太先生は、急に『明日出ろ!』とか、『今からオーディションだ』とか言うんですよ(笑)。それで、どんどん抜てきして経験させて、伸ばしていくというような方でした。 『ジーザス~』のときは、研究生の僕らの期から2枠だけあるのでオーディションに出ないかと言われて、2人のうちのひとりに入りました。 おもしろかったし、楽しかったし、うれしかった。そこから本当にトントン拍子にメインの役をもらったり、主役をやらせてもらったりと、結構無敵状態でしたね(笑)」 ――立て続けに主演を務められてエリートですよね。 「エリートではないです(笑)。僕は入団したときは、本当に一番下手くそだったんです。だって、歌もやったことがない、ダンスもやったことがない、芝居もしたことがない…何もやっていなかった素人ですからね。周りにいる同期は、みんな音大卒だったり、バレエコンクール入賞!とか、子役をやっていたという人ばかりだったんです。 そんななかで半年後には舞台に立っていて、1年後には主役もやっちゃって…。一番勘違いをしていたときかもしれません。『あれ?もしかして俺には才能があるんじゃないの?』みたいに思っちゃって(笑)」 ――念願だった『ライオンキング』のシンバ役もやられたのですね。 「はい。1日だけ出ました。『やってみろ!』と言われて出たら、『やめろ。ダメだ!』って言われておろされて、ショックでしたね。でも、その後『春のめざめ』という作品への出演が決まったんです。 ブロードウェイのカンパニーの方が演出家としていらしたのですが、これまでの作品づくりとは全然違っていて、それが劇団を退団する大きなきっかけにもなりました。『こんな役づくりの方法もあるんだ。向こう(海外)はこういう風にやっているんだ、劇団の外にはもっと違う世界があるのかもしれない』と思って退団することにしました」 ――入ってすぐに主役にも抜てきされて、これからというときでしたが、不安はなかったですか。 「辞めるときはなかったんですよね。四季を辞めた後、休学していた大学に戻って、卒業するために必要な単位を全部取って、夏休みとか冬休みはニューヨークに行ったり、中国に行ったり、芝居の勉強にあてたりしていました」 大学在学中の2011年、映画『カイジ2 人生奪回ゲーム』(佐藤東弥監督)に出演。柿澤さんは、主人公(藤原竜也)と対立する組織が運営する裏カジノの支配人(伊勢谷友介)の部下・村上保役を演じた。 ――初めての映画の撮影はいかがでした? 「映画のセットも初めて見ましたし、緊張でよく覚えていないんです(笑)。周りはすごい俳優の方ばかりで、何かずっとモジモジして終わった気がします」 ――もっと映像の仕事をやろうという思いは? 「そのときは、全然思いませんでした。ただ、舞台とはまったく違うものなのだとわかりましたね。舞台しかやってこなかったから、とにかくセリフは明瞭にしゃべらなきゃいけないと思っていたのですが、めちゃくちゃ浮いていましたね(笑)。 でもそれは、誰も教えてくれないので、自分で見て勉強しなきゃいけない。もちろん『もっとこうだ、こうするほうが良いんだ』って教えてくれる監督さんもいますが、基本的には撮って、『はい、OK』という感じも多いんです。 ドラマの撮影は時間との勝負でもあるから、良かったらそれでOKなので、ある意味怖い、恐ろしいと思いました。自分でちゃんと見て、学んで、映画もいっぱい見て、何が自分にフィットするのかということを常に勉強しなきゃダメなんだなって思いました」