【山脇明子のLA通信】帰国時に多くの刺激を受けた磯野志歩…さらに高みを目指して新天地へ
全米大学体育協会1部(以降DⅠ)のサザンユタ大学(ユタ州)からこの秋、テキサス州サンアントニオにあるインカーネイト・ワード大学(以降UIW)に転校した磯野志歩。福岡大学附属若葉高校を卒業後、渡米。短大を経て、昨年サザンユタ大への編入を果たしたが、バスケットボールに集中でき、自らへの信頼をプレー時間で示してくれ、さらなる向上ができる場を求めて転校を決意した。 この夏は、日本の女子の名選手たちとプレーする機会にも恵まれ、多くの刺激も受けた。バスケットボール選手として、改めて目標もできた。 向上心を再度掻き立てられた磯野に、新チームで夏の練習を終えた8月末、話を聞いた。 インタビュー・文=山脇明子
UIWからの熱烈ラブコールで転校を決意
――新たなチームに来て、夏の1カ月間の練習を終えましたが、チームの方はどんな感じですか? 磯野 コーチはコート内外両面で厳しい方です。アメリカ人って練習でも始まる5分前とかギリギリに来ますが、練習は絶対に10~15分前厳守とか、連絡の返事もコーチ以外の人からであっても半日以内に返すようにと徹底しています。日本では当然のことですけど、アメリカでそんな風に言う人はあまりいません。またコーチもアシスタントコーチも、誰に対してもリスペクトします。練習も厳しいですね。ウエイトもすごくしますし、かなり走らされます。1カ月の練習の間は、体が痛かったです。でもヘッドコーチが厳しいとやっぱり引き締まるので、いいなと思いました。 ――短大からDⅠの大学に編入した昨季の1年間をどのように振り返りますか。 磯野 最終的にシーズンを終えて転校することになりましたが、最初の方から転校しようと決めていました。私自身、軽い気持ちで留学していないですし、軽い気持ちでバスケットボールをしていないからです。アメリカの短大でやっていたときは、DⅠにいるほとんどの選手はバスケが大好きで、バスケのためにDⅠの大学にコミットして来ているとイメージしていました。でも実際、イメージしていたことと現実は違いました。自分が好きなことだから、(練習前後や休日などに)1人で体育館を使えるのはうれしいことですけど、バスケのために生活をしていない人ばかりいすぎて、練習が終わったら帰る、練習の5分前に来るとか、パーティー漬けとか、それがきつかったですね。 コーチは、私のことをいいプレーヤーだと言ってくれましたし、ヘッドコーチがやりたい速いオフェンスで「志歩にボールを運んでほしい」とも言ってくれましたが、結局のところ、そういう練習もさせてくれませんでしたし、試合で使ってくれませんでした。ストレスがたまり毎日体育館に行って1人で練習していましたが、何に悔しいかもわからないし、何に涙を流しているのかもわかりませんでした。バスケが好きだから自主練とかするんですけど、自信を持ってプレーできるかといったらやっぱりできないし、どこかで“はてな”が多いし、もったいない1年を過ごしたなと少し思います。 ――シーズン終盤に鼻を骨折、脳震盪もあったにも関わらず、復帰戦は大学自己最多得点で、それから最終試合までの4試合で1試合平均11得点、シュート成功率約47パーセントと好成績を収めました。 磯野 鼻が折れて脳震盪がかなりひどかったそうです。ただ私にはそのひどさがわからなくて、プレーしたいという思いでいっぱいでした。脳震盪がひどかったことで、「シーズン終わりまで出ちゃだめ」と言われて、「そんなの無理」とトレーナーに泣きながらお願いしていました。鼻の手術をしなければいけませんでしたが、「もう曲がったままでいい」と言って(笑)。前の大学に入ってからいろいろなことがあり、シーズンが終わったら転校しようと決めていて、本当だったらもうコートに立ちたくないという人もいるかと思うんですけど、私、少し矛盾していますよね? でもそのときは、コートに立ちたくて、1試合でも多く勝ちたいと願っていました。 復帰戦で最初の2~3本、プルアップとかも決まっていたときにコーチたちも(交代とか)何も言ってこなくて、うれしそうな表情をしてくれていました。だから何も気にせずバスケができました。そのときに結構変わりました。自分の中でも「できる」っていうか、「こういうショットだったらいいんだ」「こういうことが求められている」「こういうのが武器なんだ」とわかりました。それまでは、プルアップとかそんなに武器だと思っていませんでしたから。最後の4試合は、プレーしている間、コーチたちとの信頼も強く、「これ、転校するのはきついな」と少し思ってしまいました(笑)。これまでは、ただ単にバスケを楽しむということよりも、まずコートに立ちたいというのが大きかったんでしょうね。バスケができないということが本当に苦しかった。 ――シーズン後、転校するための選手リストに名前を載せ、約10校からインタレスト/オファーがあった中、最終的にUIWにした理由は何ですか? 磯野 シーズンが始まらないと何もわかりませんが、一番欲しがってくれたからです。サザンユタ大よりもコートも小さいし、初めての地域だから不安でしかありませんが、私のことをとても欲しがってくれました。「チームにはあなたが必要だ」と毎日電話をくれました。テキサス州の時間で夜中の1時とかでも電話をくれたのでUIWに決めました。 ――今季はあなたにとって、米大学最後のシーズンになりますが、どんなふうにやっていきたいですか。 磯野 楽しむことですね。今年は目標であるプロになるための通過点で、もちろん結果を残したいです。でも、結果にとらわれ過ぎての空回りはできません。やるべきことはしっかりやってレベルアップしていきたいです。あと今季楽しみなのは、今野紀花さん(現デンソーアイリス)とルイビル大学でチームメートだったヘイリー・ヴァン・リスがいるTCU(テキサス・クリスチャン大学)と試合があることです。どれくらい戦えるのか楽しみです。 <H2>帰国して受けた刺激で目標を上方修正</H2> ――このオフシーズンは、Zoos(3x3チームの運営はじめ、女子バスケを起点とした様々なプロジェクトを企画・運営するコミュニティ)でもプレーしましたが、その経験はいかがでしたか。 磯野 メンバーがすごかったんです。Wリーグの選手、代表入りされていた選手の方々がいて、「自分がここにいていいのかな」と思いました。 ストリートコートでプレーすることは私自身初めてでしたが、(Zoosのオーナー兼選手で現トヨタ自動車アンテロープス選手である)桂葵さんが、ゲームが始まる前に「ここのストリートはすごく長い歴史がある」とおっしゃっていて、見ている人のエネルギーも本当にすごいし、ストリートでやってこられた方たちの思いとかもあるんだろうなと感じました。一人ひとりのバスケに対する思いや心から楽しむ姿、エネルギーがすごかったです。アメリカでは今、女子バスケットボールがすごく盛り上がっていますが、日本でもこういった女子アスリートをもっと取り上げたらいいのになと思います。 ――そのような豪華な女子選手たちと一緒にやれたことは刺激になりましたか? 磯野 刺激ですね。(アメリカの大学でプレーした先輩である)今野さんにお会いしたのも話をしたのも初めてでした。桂葵さんは2年前ぐらいにお会いして一緒に練習したことがあります。今回声をかけてくださり、即決で「お願いします」とお返事をさせていただいたのですが、率先して自分で道を開いていかれるところがめちゃくちゃ好きです。素晴らしいキャリアをお持ちですけど、そのキャリア以上に自分のしたいことをされていて、すごいです。しかもWリーグの選手たちは、自分が小さいころから見ていた世界にいらっしゃる方々で、「そのような人たちとコートに立てるなんて」とすごい刺激でした。Wリーグの選手は、ほとんどみんな自分にどんなスキルがあって、どれだったら通用するというのを個々でお持ちだから生き残れていると思うし、自分ももっとそういう部分を明確にしていかないといけないと思いました。今回一緒にやらせていただいたすごい人たちと同じレベルというよりも越していくことを目指したいと思いました。 ――日本代表への思いも以前以上に芽生えましたか? 磯野 代表にもWNBAにもすごく思いはあります。どれだけ可能性があるのかもわからないですし、今まで代表になったことはないけれど、どうしてもあの舞台に立ちたい。自分でも、高校、または日本の大学で名が上がらないと代表なんか入れないと思っています。私は全国大会に出たこともないですし、DⅠの大学でやっているといっても、私のことなど知っている人なんていないですし、そんな簡単なことじゃないのはわかっています。小さいころから吉田亜沙美選手(アイシンウィングス)とかずっと見ていたので、代表への思いはあったのですが、本当に強く思ったのは、今夏のパリオリンピックを見たときで、「この舞台に立ちたい!」と思ってしまいました。 何が一番の目標かと言えば、WNBAです。でもパリオリンピックが終わったときから、「(日本代表を)目指さない理由なくない?」と思ってきました。出たいから出られる世界ではないですが、出たいです。(女子日本代表の)あんなカッコイイところを見たら、目指さないわけにはいきません。
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