のっけからきゅんとさせられる――書評家、エッセイスト、声優で翻訳家。池澤春菜の初の小説集、その読みどころとは(レビュー)
ブックレビューを書いています、と言うと「小説を書いてみたいと思うことはないですか」と聞かれることがある。「自分にも書けそうだと思いませんか?」「いや、むしろ……」と答える。読めば読むほど、紹介すればするほど書き手のすごさが分かって、絶対できないと感じます、と。 書評家、エッセイスト、声優、そして翻訳も手掛ける池澤春菜さんの作品集『わたしは孤独な星のように』(早川書房)が刊行された。意外なことに、初の小説。これは勝手な想像だけれど、これまで多くのすぐれた作品に触れられてきた池澤さんは、フィクションを手掛けることに畏れのようなものを感じていたのではないだろうか。読み手としての目線を意識して書かれたに違いない七つの短編。ゆっくりページをめくった。 のっけからきゅんとさせられる。「糸は赤い、糸は白い」の主人公、高校生の音緒はある決断を迫られている。そろそろきのこを選ばなくてはならないのだ。第二次性徴期になると、人々は脳にきのこの菌を植える。共感能力を備えるためだ。同じきのこ同士だと心と心が引き合う強さが増すと言われている。音緒は想いを寄せる康子と同じ、マイナーなきのこを「植菌」しようと決心するが……。 施術前、音緒は看護師に「一生のことだからよく考えてね」と言われる。十代でそんな台詞を言われるって(つまりやり直しがきかないって)なかなか残酷なことだ。とはいえ、いつだって、どんな世界に住んでいたって人はその時の気持ちに従って生きるしかない。ラストは晴れ晴れと爽やかなのに、ほんの少しの切なさを感じてしまったのは、だからかもしれない。 女子会に向けてダイエットするぞ、という話がこんな展開に? ! と驚かずにはいられないハイテンションの「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」、標高五千メートルの山頂施設で働く技師が恐ろしい希望を発見する「いつか土漠に雨の降る」など、文章のリズムと色彩が一編一編鮮やかに変わり、かつ並べ方も絶妙。読んでいると一枚のアルバムを聴いているような心持ちになる。掉尾を飾る表題作はその感覚が当たっていたと思わせてくれた。〈叔母が空から流れたのは、とても良い秋晴れの日だった〉という美しい書き出しから、ああ、最後の曲が始まるのだなと思う。 「わたし」が住む古いコロニーでは、人が生まれると空に星が上がる。死ぬとその星は流れる。同居人だった叔母が「流れ」て一人になった「わたし」は、訪ねてきた叔母の友人、ミュージシャンのレイリタと弔いの旅に出る……と粗筋を紹介するだけで胸がいっぱいになってしまう。「わたし」が〈死ぬことはいなくなることではない〉と理解する瞬間の静かな苦悶、レイリタが推察する叔母の願いの温かさ。旅の終わりに二人が見つめる「小さな光」は、読者の心をも照らすだろう。 [レビュアー]北村浩子(フリーアナウンサー・ライター) 協力:新潮社 新潮社 小説新潮 Book Bang編集部 新潮社
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